◎先日来、まわりで大嶺山系の話がいろいろ出だした。「大峰はもう過去のモノ オレにはちと ハードルが高すぎる」と老齢であることを理由に、ジジイは無理かなと思っていた。勿論、10年前のように7日間もかけての縦走はないけれど、「懐かしい山を ひとつひとつでも 登ることができたら 素晴らしい」と思っている。

◎「オレの相棒が その時は 白装束でした」「え わたしは 今 四国遍路 歩いています 上衣だけ 白装束なので 全身白装束なんて カッコイイ」とメールが来た。10年前の写真を探してみると、衣川さんの写真が出てきた。足元は白い地下足袋、これは決まっているね、登山靴じゃさまにならないね。ズボンは作業ズボンの白で本格和装ではないが、これでいいじゃないか。上はきちんと着物のように前を締めている。腕に首に数珠をかけ、手には簡単な錫杖、尻には鹿皮の敷物をぶら下げ、ほんとうは白い菅笠もあったが、険しい尾根道で風に煽られ飛んでしまった。「○○○○ ソワカ・・」と永らく経を唱えていた姿が懐かしい。

◎1年前に釈迦ヶ岳に2度行った。一回目は懐かしの前鬼からから入った。元気なころは乗越までひとッ飛びと思っていたが、尾根道の大嶺奥駆道に登ったころにはふうふうだった。二回目は谷瀬のつり橋あたりから山道をグングン車で登り2時間足らずで釈迦ヶ岳に着いた。

 

◎10年前の思い出に戻ろう。下記は衣川さんのメモ。

4月29日雨:近鉄吉野駅午前8時半出立、二蔵宿小屋午後4時着(泊)8時間行動。

4月30日雨:二蔵宿小屋午前4時半出立、行者還小屋午後7時着(泊)14時間行動。

5月1日晴れ:行者還小屋午前6時半出立、楊子ノ宿午後4時半着(泊)10時間行動。

5月2日晴れ:楊子ノ宿午前4時半出立、持経ノ宿午後4時半着(泊)12時間行動。

5月3日晴れ:持経ノ宿午前6時出立、行仙宿小屋午後12時半着(泊)6時間行動。

5月4日晴れ:行仙宿小屋午前4時出立、玉置神社午後3時半着(泊)11時間行動。

5月5日雨:玉置神社午前4時半出立、熊野本宮大社午後1時半着、9時間行動、帰阪。

 

◎六日目に泊まった行仙小屋をネットで調べ思い出した。もう6日目ともなると相当疲れだしていた。大嶺奥駆道、大阪に近い山、吉野に近い山は単体でいくつか登っていたので、「おお ここか」というように知った山があったが、熊野に近づくにつれ初めての山になってきた。かつて前鬼からと、持教の宿あたりがからとが、一番奥でそれより熊野よりは知らない。山の標高もだんだん低くなり、1800あった高さが、1200ぐらいになってきた。行仙小屋に着いた時はまだ明るかった。幾人かの人が小屋のまわりの整備をしていた。その日は地元の方々が小屋まわりの整備に上がっておられたとか、「もう少しで 飯時分なので 天ぷらをします みなさんも召し上がってください」と言われおおいに喜んだ。「それじゃ 水を汲んできましょう」とポリタンクをもって下の方に下った。下りは10分ぐらいで階段やらはしごやらを、登りは水をもってエンヤコラだ。石の間にきれいな水がたゆたゆ流れている、この水は素晴らしい。缶ビールまでいただき天ぷらを堪能した。 

 

◎最終日は玉置神社で泊まった、相棒がおごってくれた。玉置神社に着いた時もまだ明るかった。すでに予約をしてあったので神社で受付をすませ、神社のまわりをぐるり散歩した。「お 一升瓶だ!」これを見たときには感激したね、「ちょっと いただこう」横に白い皿が置いてある。この白い皿は、絵を描くものなら1枚2枚持っている絵具を溶く皿と同じ形状、そのさらに酒を注ぎまずは一献、「オレも・・」2回3回と酒を注いだ。腹に染み渡るうまさであった。何日かぶりの風呂に入り、まともな食事、まともな布団であった。

◎翌日は最終日。標高がどんどん下がり、霧の中でシャクナゲが咲いていたような記憶がある。熊野川をずぼずぼ入って向こうに渡るのは正式スタイルらしいが、その日は水が増していて、橋を渡った。大阪に帰り着き新大阪駅で、相棒の行きつけの店でたらふく飲んで帰った。