◎三津河落山:さんづこうちざん:漢字で表記されると読めない。名前の由来は、ここが三か所への分水嶺だという。大阪湾・伊勢湾・太平洋の三か所に水が流れていくというが、そらあ理屈でいえばそうかもしれないがちと無理があるのではと思いながら、これを書いている。

かつて同じように漢字で連絡が来て、この字はなんと読むのだろう、なんという名の山だろう、という山があった。「次はこの山に登るよ」と連絡が来て、「え なんと読むのだ」と焦った漢字があった。

燧ケ岳:ひうちがだけ、檜塚奥峰:ひのきづかおくみね

 

◎何日か前から予定していたが、梅雨の季節、晴れたらいいが、傘マークになってきた、なんてヒヤヒヤしながら、案の定一日前倒しになった。茨木を8時に出たが歩き始めたのは11時になっていた。距離はたった130キロぐらいしかないが、橿原神宮あたりから地道に入りなかなか進まず時間がかかってしまった。

 天気は午前中、お陽さまマークだったが、午後から下り坂、曇りマークになっていた。「大台河原は日本一降水量の多い区域」と聞いていたので、予報士が言う曇りは、山では雨かなと恐れつつ歩いたが、行程の半分は陽が照っていた、帰りの半分も降られることなくお天気には恵まれた一日だった。

 

◎日本一の降水量というので調べてみた。大台ヶ原は屋久島と並んで日本一の降水量、年間5000ミリだそうだ。標高ゼロメートル太平洋の海まで20キロ、そこから台風シーズンの湿った雲が一挙に1500メートル駆け登って登ってきて大雨を降らすようである。

 

◎今回は、いつもの大台ヶ原から少し離れた三津河落山に連れられて行った。膝あたりまでの笹のポコリン風景、そこに白骨化した巨木の幹や根があちこちにぽつりぽつりとある、この景色は素晴らしい。山に入って目の高さに遮るのがない、樹が茂っていない、背の高い草がない、まわりの景色が見渡せる、こんな素晴らしいことはない。ここの山はまだ膝ぐらいまでの笹に地表が覆われている、遠くから見ると草原だ、大地のポコリンを丸く草が覆っている。そんな大地の所々に真っ白い立ち枯れの樹の幹が半分残っている、ひっくり返った根っこまでもが白くなって残っている、またまた白っぽい大きな岩ごろりある。向こうを見やると紀伊半島の山々が連なっている。

 

◎大台ヶ原の昔は樹木に覆われていた、よその山と同じように樹々が茂っていたそうだ。1959年に来た伊勢湾台風の嵐でそれらのでっかい樹がなぎ倒されたらしい。樹が倒れても山の緑は簡単に再生するものだと思っていた。大台ヶ原のポコリン山々も、再生の初めとして笹が覆い出したが、シカがやって来てその笹を食ったそうだ。シカがどんどん増え、その笹を根元まで喰ったそうだ。根元まで喰うと笹自体が枯れ土砂崩れ、崖崩れが起こるらしい。そういえば弁当を食ったてっぺんあたりには鹿の糞が散乱していたね。

 

◎今回の大台ヶ原は、白山に行こうという話が変更になり、ここになった。石徹白から白山へという話だった。石徹白に最初に行ったのはまだ50歳ぐらいだったか、昔の山仲間と野伏ヶ岳に登って石徹白の民宿に泊まった。そのあとまた別の日に大野の方から入って赤兎山の避難小屋にも泊まった。30年近くも経ってしまうと記憶もあやふやである。当時はパソコンをすでに持っていたが、山のことを記録することもなく、写真も少ない。

 

◎御岳山が噴火したのが2014年だそうで、そのあとに衣川さんと石徹白に入った。ほぼ10年前だ。細い川沿い道を上流まで行き車を止めて避難小屋まで歩き泊まった。翌日、三の峰までか別山までか忘れたが、避難小屋に二泊して帰ったような記憶である。