◎昔、男ありけり。その男、伊勢の国に狩りの使いに行きけるに、かの伊勢の斎宮なりなりける人の親、「常の使いよりは、このひとよくいたはれ」と言ひやれりければ、いとねむごろにいたはりけり。朝には狩りにいだしたててやり、夕さりは帰りつつ、そこに来させけり。かくて、ねんごろにいたつけり。

 

二日といふ夜、男、「われて 逢はむ」といふ。おんなもはた、いと逢はじとも思へらず。されど、人目しげければ、え逢はず。使ざねとある人なれば、遠くも宿さず、女のねや近くにありければ、女、人をしずめて、子一ばかりに、男のもとに来たりけり。

 

男はた、寝られざりければ、外の方を見いだしてふせるに、月のおぼろなるに、小さき童をさきに立てて、人立てり。男、いと嬉しくて、わが寝る所に率いて入りて、子ひとつより丑三つまであるに、まだなにごとも、語らぬに帰るけり。いと悲しくて、寝ずなりにけり。

 

◎帝の名を受けて、狩りの使いとして伊勢の国に来ている。狩りの使い:朝廷での儀式や宴に使う獣を狩りに来た、という名目で地方の査察であり、勅使だそうだ。

 伊勢の国には、伊勢神宮があり、朝廷にとって大事な場所、しかも斎宮がいる。

 斎宮とは伊勢神宮の神に仕える、巫女のような者。本来は天皇自身が度々参らねばならないがその代わりとして、内親王を派遣した。こうして伊勢で暮らす女性のことを斎王とか斎宮と呼ぶ。

 斎宮は未婚の若い内親王から選ばれる。神聖で清らかな反面、気の毒な生贄生活でもある。一度斎宮に選ばれたら、花の都:京を離れ田舎の伊勢で暮らさなければならない、しかもその期限は天皇の代替わりまでである。

今回、斎宮は母親から事前に文をもらっている。「この度そちらに行く 狩りの使者は普通とは違うから いつも以上に丁寧に、もてなしなさい」

在原野業平は、祖父が天皇、母は天皇の娘、血縁的にも上等でしかも斎宮と近しい。

斎宮は母の言いつけを守って、細やかに世話をした。朝は支度をして狩りに送り出し、夕は自分の暮らす御殿に招いた。こんなことはほかの男にはしたことがなかった。お互いに意識するようになった。

二日目の夜、男は、「逢いたい」といい、斎宮は、「いと逢はじとも思へらず」という。

 「いと逢はじとも思へらず」:回りくどい言い回しだけれど、逢わない、とは、思っていない、絶対に、とは、「逢ってのいいよ」と解釈するのかな。

 斎宮は恋愛禁止、神に仕える身なので、清らかでなければならない。

 男の宿と、斎宮の寝所は近い。が、人目が多すぎ、逢瀬のチャンスがない。

ところが、夜中に、斎宮本人がお忍びで男の部屋を訪ねてきた。

「月おぼろなるに 小さき童をさきに立てて 人立てり」

女童を先導させて、斎宮が立っている。

男は、斎宮を寝室に連れて行って、AM2時までの3時間くらい共に過ごした。「まだなにごとも語らぬうちに

帰ってしまった」男は物足りなく、満足できぬまま別れてしまった。

普通は、男女が一夜を明かした後は、「後朝の文」といって、男の方から女の方に、文を届ける。

今回はそれができず、男はソワソワ、女からの文を待った。女からの歌が来た、その返歌を送った。

 

君や来し われや行きけむ 思ほへず 夢かうつつか 寝てか醒めてか

男の返歌

かきくらす 心の闇に 迷ひにき 夢うつつとは 今宵定めよ

真っ暗な心の闇に迷い込んでしまった。何もわからない。今宵もう一度・・。