利仁将軍若時従京敦賀将行五位語第十七<としひとのしょうぐん わかきとき きょうよりつるがに ごいを

    いてゆくこと>

◎芥川龍之介の「芋粥」で有名な話。宇治拾遺物語にも、同文的同和が載せられ、両者は同原拠とみられる。

◎当時、殿上に上がれるのは四位までであった。

◎当時、芋粥は高級料理だった。

◎鈍色:にびいろ:どんじき:青みがかった黒灰色:いい感じのちょっと濃い青みがかったグレー。

◎利仁:としひと将軍:実在の人物で、平安時代の貴族で武将であった。敦賀方面を治めていた。

◎利仁将軍は、貧相な五位の侍を館に連れ出しおおいに接待する。これはきまぐれか、たまたま目に着いたのか、その関係はわからない。

◎京と敦賀間は直線距離で80キロ、道路事情を考えて120キロとする。馬は一日に50、60キロ移動した。馬に乗れば120キロは二日でいける計算になる。徒歩では3日かかるね、10時間歩き40キロ移動だ。

◎この話の中で、狐が利仁将軍の言いつけを実行し、褒められ、食事まで与えられる、というめでたし。

◎利仁将軍に招待された五位殿は、敦賀に長らく逗留し、贅沢な日々を過ごし、みやげまでもらって都に帰る。今昔氏は、この五位が、「長年勤めあげ 人々から重んじられる者」と持ち上げ、こういうご褒美は、五位の人柄から生まれたものという。話の中では、相当貧相に描かれているが、根は実直で、密かに誰からも、利仁将軍からも、好かれていた人物だったのかもしれない。

◎練色の着物:漂泊する前の布。練糸:練り糸:生糸を灰汁、石鹼、ソーダ溶液で処理して、柔らかく光沢のある絹糸。

 

◎その後、四、五日して、この五位は、屋敷内に自分の部屋をもらっていたので、そこに利仁がやって来て、五位に向かい、「さあ まいりましょう大夫殿、東山の近くに湯を沸かしてあるところがありますから」

◎五位は喜んで出かけるがその装束の説明:薄い綿入れ二枚程重ね、裾の破れた青鈍色の指貫に、同じ色の狩り衣の肩の折り目の少しくずれたのを着て、下の袴は着けず、高い鼻のその鼻先は赤らみ、穴のまわりがひどく濡れているのは、鼻水をろくにぬぐいもしないのかと思われる。狩り衣の後ろは帯に引っ張られてゆがんでいるが、それを直そうともしないのか、ゆがんだままなので、おかしな格好だが・・。

◎粟田口を過ぎ、山科を過ぎ、関山も過ぎ、三井寺の僧の房に行き着いた。ここで、「実は敦賀にお連れするのです」と五位にいう。

◎三津の浜あたりでキツネが一匹走り出た。利仁将軍は馬を駆けキツネを捕まえ、そのキツネに命令する。

「おいキツネ 今夜中に わしの敦賀の家に行って こういえ」

「急に お客様を お連れすることになった 明日の巳の時 高島あたりに馬二頭に 鞍をおいて 男どもが迎えに来るように」

「もしこれを言わぬものならいいな、狐よ、やってみろ」 それを見た五位は、

「これはまた当てにならない 御使者ですな」

さてその夜は道中一泊して、急いでいると、一団がやってくる。家来たちだった。「馬も 二頭おります」

◎五位が馬から降りて、家の様子を見ると、言いようもないほどの裕福である。はじめ着ていた二枚の着物の上に、利仁の夜着まで着けたが、それでもまだ風が肌に通ってひどく寒そうな様子なので、火鉢にたくさん火をおこして、畳を厚く敷き、その上に果物や菓子を並べたが、実の豪勢である。

◎五位は寝所に入って寝ようとすると、そこには綿の厚さ四、五寸もある直垂が置いてあって、もと着ていた薄い着物は居心地が悪く、また、何かいるのかかゆいところも出てきたので、みな脱ぎ捨て、練色の着物三枚重ねたうえにこの直垂を引き覆って横になった気持ちといったら・・<中略>そばに人が入ってくる気配がした。「だれだ」女の声で、「おみ足を おさすり申せと いわれましたので まいりました」・・ムムム。