◎ソロでいつもの定点コース、北小松駅から釈迦岳を通って比良駅までと歩き出した。いつもより1時間早い電車に乗り、駅のポストに登山届、トイレ、靴の紐を締め、8:20北小松駅を出発した。降車はザックの男がもう一人だけだった。曇っている、予報では午後からくもりとなっていた、降らなきゃいいが。

◎荷を少しでも軽くと考えている。雨具の上下は何時もザックに入っているが、この雨具の上着を防寒にも使えないかということだ。「なにを 今頃」と言われるかもしれないが、今までは雨具の重さなど気にしなかったがこれはいい考えだ、防水上衣を探さなくては、しかもちょっとオシャレなものを・・。

◎スマホが、「593メーター」という、ヤケ山に近づいて来た。ひとりで歩くと鳥の声に敏感になる。フクローの重低音、「ほ~ほ~」キツツキの機関銃、登山道をずっとイノシシめが掘り起こしている、シカの糞は少ない。ヤケを通過して2本目を1時間歩く。地面が濡れている、このあたりは昨日降ったようだね。

◎駅で降りた方、「もう何年も 1000Mを超えたことがない」と下って行かれた。2本目の手前で人の声、6人のジジババが前におられたが、この方たちもそのあと釈迦付近で見ていないので帰られたのかな。

◎絵の話:久しぶりに新しいキャンバスに描いている、描き始めて3回目ぐらい、「お いいじゃん」これまた久しぶりのうれしい感覚、山から帰って立て掛けてみてもよかった。「ジジイになって 感覚が悪くなったか」と悲観していたが、「まだ大丈夫 あっさりでいい グッドセンスで」である。毎日古い絵を修繕しているが、古い絵はよくない部分、よくないと目に付くところ、これらを消すためにさらに加筆、これがますますいけない、いけないとわかっていてもやってしまう、やらなければ繕えない、悲しい作業かな。

◎昨日電話が鳴った。「岡村です」「仲野です」「えええ 生きてた・・?」サンフランシスコのバークレーにいる旧友の仲野雄三さんからである。5年も前に、「帰るけど 泊めてくれ もう 寝るところがなくなったから」という電話を最後に連絡が途絶えた。4歳年上、しかも火事で肺をやられたとか、てっきり亡くなったと思っていた。しゃべり始めは訥弁でおぼつかなく、「こらあ 相当 きているなあ」と思った。そばで日本人の女性、聞くと新しい奥方らしい。相変わらず女性は次々いるらしい。昔話に花が咲き、奥方のアドレスもゲット、これから連絡がしやすくなった。

◎11:05ヤケオ山に到着。ここと蛇谷ヶ岳の間、黒谷の水田が光って見える。朱色のツツジが幾本か、イワカガミの花がいくつか、今日はここまでぐんぐん登ってきた、もうワンピッチもない、見晴らしのいい尾根道だ。と思っていたが、5月ともなると緑が茂る、景色が変わる、今までいろんなところがまる見えだったのに、緑に邪魔をされ見えない。てっぺんに着く時も、「あれれ もう一つ先かな」と思うぐらいに景色が変わる。

◎11:40釈迦を通過、ここの平らな部分も緑がいっぱいで見通しが効かない、「ちょっと下ったところで 昼飯」と歩き、ワンゲル道とリフト道、分岐の標識を右:リフト道に行った平らなところでザックを下ろした。今日はご飯がなかったので、おにぎりを二つ買い卵焼きと野菜炒めをパックに入れてきた。おにぎりを喰い、おかずを食べ満腹である。水はスポーツ飲料1L、コーラ500CC、お茶500CC、計2L持ってきたが涼しいのか余りぎみだ。いつも夏近くなって大汗をかきへ~へ~は~は~の時は2Lでは足らず、湧水や流れの水を飲んでいる。上の方で水のある山はありがたい、水は重い、若いころは、「酒が重い」と言っていたね。

◎釈迦からの下りは南斜面、上の方には、中ぐらいのでかいブナががんばっている、よじれたねじれたその形が素晴らしい。大きな樹の根っこが石を抱いているというが、百年二百年前に車一台分ぐらいの大きさの石の上に種が落ちてそのまま育ち、とそんなことを想像する風景だ。そんな昔も服装こそ違えたくさんの人が山の中に入って、歩いて、弁当を食っていた、今も昔も変わらない。

◎2時少し前に昔のリフト駅に下り立った、無事下山した。いつもは喉が渇いてそこにある湧水を飲むが、今日はまだ余裕でザックにいくらか残っている。腰を下ろせる石を見つけ、汗で濡れたシャツを脱ぎ乾いたものに着替えた。パンと水筒を出しぼそぼそ喰った。ここは今年もう3回目、何度来てもあきない、もうすぐ釈迦というあたりの尾根道がいい、琵琶湖が見渡せ山も見渡せる。白っぽいピンクのシャクナゲはまだつぼみのまま、奇怪な樹にたくさん出あえ満足である。徒歩1時間で比良駅、4時半ごろ帰った。