◎毎年、開催されている高校同窓会の当日の朝、F君からいっしょに行こうと電話があった。彼は関東に越しているが大阪のマンションもまだ残しているようで、家が近所なので駅で待ち合わせをした。

 二十歳代から展覧会の度に同窓の仲間に展覧会の案内状を出していた。「じゃあ ○○日に 何人か集まろう」10人ぐらいが毎年のように続き、たくさんの方々に案内状を、名簿がわかる全員に案内状を、なんてことから膨らんできた。550人いたが死亡、行方不明などで350通の紅封書を発送している。オレひとりでできないので皆さん主導で運営するようになった。あと何年かこの作業は続けるつもりである。

◎会場は新阪急ホテル2階。ここはもう再開発の予定があるそうで最後だそうだ。例年使っていたホテルより、「飯が上手い サービスがいい」と喜んでいる、もっと早くここにすればよかったね。

 このホテルオレが高校生のころに工事をしていたか、竣工したか、詳しくは忘れたが、美術の先生が、「○○君が設計したそうだ 見てくださいと 言ってきた なんだか ダムのような外観だなと 言ってやった」と聞いた。黒い外観、四角い箱のような形、当時の流行のデザインだったのかな。

◎12時開演と書いてあるが、何分か遅れて司会者がしゃべり始めた。「12時か 腹が減ったな」と思いつつ、開会あいさつやら、物故者への追悼やら、出席者点呼などがあって、さあ乾杯という時点でホテルの若い男女の方々がビールを注いで回ってくれた。ぐいぐい、「ああ 美味いねえ」

◎ビールを飲み干すと、「お飲み物は」と若い女性ボーイに問われ、「白ワインを」といただき、次にウイスキーのハイボール、次つぎあつかましくいただいた。メニューのメモがある。オードブル、寿司、茶わん蒸し、魚のワイン蒸し、鶏モモ肉のソテー、牛肉の赤ワイン煮、蕎麦にケーキにコーヒーだった。オードブルにはテリーヌがあった。ゼリーでいろんなものを入れて固め1センチぐらいの透き通るような中に何やかやのいろいろが入っている。まわりのジジババは、「そんなに たくさん 食べられない」といくつかの品々が回ってくる、「美味いねえ」と口に運びまたチビリ飲んだ。

◎召人:めしゅうど:去年、宮中歌会始の召人に選ばれた栄原君の話。

歌木簡 かかげ 三十一文字をよむ ぬくき響きに 座はなごみけり

永遠男君は木簡で有名な学者だと聞いていた。何年か前の新聞に彼の記事が出ていた。その内容がわからなかったが、今、サイトを検索して、そういうことだったのかと納得。

万葉集は8C半ばに編纂された。下記の歌の木簡が出てきたのは万葉集が編纂された少し前だという。一緒に出土した木簡の中に年号が書かれたものがあり少し前だとわかるわけである。彼から聞いた話だが、木簡と言っても小さな棒や板のこともあるが、いったん書いて、「次を 書きたいので 書いた部分を削って その上からまた書いて 利用していた」そんな削り滓が、その他の芥といっしょに溝に流れ谷筋にたまって土になっている。そんな土を洗いザルで芥だけを拾い出し、貴重品を見つけ出すというような作業が大事らしい。

 難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くや この花 <梅の花が咲いている 春が来たと>

 木簡:奈述波ツ尓:なにはつに:

あさかやま 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思わなくに <澄んだ山の井のように >

◎万葉集は奈良時代編纂の最古歌集。柿本人麻呂、山上憶良、大伴家持、額田王・・、皇族の歌、東北関東の東歌、九州防衛の防人の歌などを収録。

◎ハイボールを何杯かおかわりし、いい心持で歌をうたい全員記念撮影をして解散となった。次の店ということで近くのビヤーガーデンでさらに一杯、いい気持になった6時頃に家に帰り着いた。眠い、と眠り込んで目が覚めると8時頃、風呂に入りぐずぐずして12時前に布団に潜り込んだ。酔ってすぐに一たび眠り、起きて雑用をこなし、本格的に寝る、このだらだら態度がいい。これだと翌日の目覚めがいい、二日酔いで気持ちが悪い、一日中けだるい、何もする気がしない、こういう症状がない。時間が経って夜になっても元気を保っている、ジジイになるとこの飲み方、酔ってすぐに眠るのが身体に優しい、これだと発見、ほほほ。そこまでして飲まなくてもいいじゃないか、馬鹿もんめ。