◎「明神ブルーを 見に 行こう」何日か前から計画していた。まさか今日のこの日、「今季最大の 寒波が 押し 寄せる」と天気予報士が騒いでいる。去年の冬も東吉野方面に出かけたその時は、たかすみ温泉に左折するだいぶ手前から道路に雪が積もり、「こらあ アカン チェーンを 着けるぞ」その車は四輪駆動だったので右側だけ着け、たかすみ温泉駐車場に到着した。今日は道路にうっすら雪があるだけ、「こらあ いけるよ いけいけ」と着いたが9時前で隣の500円Pに駐車した。

◎6:30阪急茨木駅献血前で相澤、馬場、林を乗せ、オレと4人で、摂津北IC→松原→南阪奈→大宇陀と進んだ。2.3日前から、「天気は 大丈夫かな」「大雪で登れないのでは」とLINEが賑わった。「予定通り行きます」車に乗った三人さんに、「こんな天気 なので とにかく 東吉野まで 行きます」「御杖は ちと方向が 違うので 今回は パス」「東吉野あたりで 積雪があれば 明神までの山道が 雪や凍結で 通りにくいので 高見山に 変更します」東吉野に近づくあたりで、「今日は 高見」と決定した。

◎9:10着替えをすまして出発した。車に乗っている間は降ってなかったが、歩きだしたらフラリフラリ雪が降ってきた。1時間半ぐらいは樹林帯の中、もう10年もすれば出荷できるかという杉の森林帯、10センチぐらいの雪が積もっている。風の音が空の上でびゅうびゅう聞こえる、分厚い毛糸の帽子、山用手袋、防寒具の下が汗ばんでくる、なかなか、穏やかな雪山、青空の下まっ白な雪、樹々の霧氷、そういう憧れの景色には恵まれない。今日もおそらく吹雪ほどではないにしろ、薄暗い空、きつい風、横殴りの雪と言う気登山かな。

◎半分ぐらい登ったあたりから尾根道登りになる。まっ白な雪の世界、真っ青な空があればまさに絶景だけれど、本日は白い雪、樹々も白く雪に覆われ、空は白く曇り空、モノトーンの世界である。時折、おっととと体が揺さぶられるような風の瞬間がある、「風に 吹かれりゃ よおお わかごけさん だよおお」ジジイが青年時代に流行った歌だが、この当時はまだオレは山に縁がなかった。JR新宿の通路にカーキ色のキスリングを並べて長い列ができていた、オレも彼らも二十歳代、夜中の12時頃の列車に乗り松本方面に向かっていく列車、早朝の4時とか5時に着き、そこから登山口までバズか何かで、それから歩いたんだろうね。しごき全盛の時代、大学山岳部全盛の時代、並んでいたのは会社員になっても山に登りたい若者たちが多かったと思う。

◎12:40山頂避難小屋に到着。寒いさむい、さすがに今日は人が少ない、震えながらザックからカップヌードルを出しポットの湯を入れた。おにぎりを出し喰ったが、ぼそぼそして柔らかい食感がない、ホシイイを喰っているような感じのコンビニ握り飯であった。カレー味のヌードルもすぐに冷え始めそそくさと流し込んだ。これが野外ならもっと寒い、まだ屋根と壁のある小屋の中、贅沢は言えないね、感謝だね。小屋の中に温度計があり、マイナス10度である、飯を終わって小屋の外で写真を撮ろうと薄い手袋だけで数分動いたが、手の指の感覚がなくなるぐらいに痛かった。慌て小屋に戻り、荷をザックに詰め山用手袋をはめ、下山した。

◎アイゼンは6本爪、30歳代に買った鉄製を尾根道あたりで着けた。ピッケルも尾根道あたりから杖がわりに持った。最近の山装備品には詳しくないが、着脱簡単なチェーンアイゼンは便利そうである。こんな山でピッケルを持っている人はいないが、オレは若いころから杖がわりに、ストックではなくピッケルを重用している。

◎1000メートルを超えたあたりの雪は樹々の幹に貼り付き霧氷のさまだが、植林地帯は湿った雪質でぼってりササの葉っぱの上に載っている。冬山の寒い季節はてっぺんでゆっくり弁当を食う余裕もなく、若いころから立ったままで何かを齧り、「さあ 帰ろう」「さっさと 下ろう」と言うのが多かった。テント泊をしようという時は、まず雪の上にテントを張って、ポリ袋に水用の雪をかき集め、テントに潜り込みコンロの火を点ける、これが意外と暖かい、すぐに暖気が充満してほっとしたものだった。

◎1時間ほど下ったところで、ポットの湯でインスタントのコーヒーを作りお菓子をいただいた。車にたどり着いたのは4時頃。車の上にも雪が積もっていた。さっさと帰ろうとそのまま車に乗った。水は1リッターを山行中に飲み、ポットの湯も飲んだが、車の中で500CCの水をグビリ飲んでしまった。こんな寒中の山だが、汗が出るものなのか、水はよく飲んだ。昔のように腹が減らなくなって、非常食のいくつかを持って帰っている。家に着いたのは7時前、風呂に入り、ジンを飲みながら晩飯を食った。