三浦祐之著<口語訳:古事記>

◎オキナガタラシヒメ側と、オシクマ側は、日嗣の争いでオキナガタラシヒメ側が勝った。オシクマは歌い終わり、オシクマとイサヒノツクネは海に飛び込んで死んでしまった。

 

いざあざ             さあスクネよ

 ふるくまが いたておはずは    フルクマの 痛手など負う前に

 にほどろの あふみの海に     カイツブリのごと 淡海の海に

 かづきせなわ           潜ってしまおうよ

 

◎日嗣の争いに勝ったタケノウチノスクネは、その御子を連れ、戦の穢れを禊で流そうとしての、淡海から若狭の国へと経めぐっておった。高志の国の角鹿(つぬが)に仮の宮を作り、御子を籠らせた。すると寝ている御子の枕元にイザサワケの大神が現れ、「わが名を御子の御名に替えよう」と仰せられた。

さて禊も果てて御子の母オキナガタラシヒメは都へ帰り上がると、祝いの待ち酒(旅に出た人などが無事に帰ることを祈って作る酒)を醸(かみ)作り、御子に差し上げたのじゃ、そして歌った。

 

このみきは わがみきならず  この神酒は 我がつくる作る酒ではないぞ

くしの神 とこよにいます   奇(くす)しき神とて 常世にいます

いは立たす すくなみ神の   岩としてお立ちの スクナビコが

かむほき ほきくるほし    言祝ぎ(ことほぎ)踊り 喜び狂い遊び

とよほき ほきもとほし    栄え言祝ぎ(ことほぎ) 祈り舞めぐりて

まつりこしみきぞ       贈り来た神酒なるぞ

あさずをせ ささ       残さず飲まれよ さあさ

 

◎幼い御子に変わってタケウチノスクネがお返しの歌をうたった。

 

このみきを かみけむひとを  このうま酒を 醸んだ(かんだ)ひとは

 そのつつみ うすに立てて   この鼓を 臼として立て置き

 歌ひつつ かみけれかも    歌いつつ かんだからであろうか

 舞ひつつ かみけれかも    舞いつつ かんだからであろうか

 このみきの みきの      このうま酒の うま酒の

 あやに うただのし ささ   なんともはや 楽しいことよ さあさ

 

◎この二つの歌は、今も酒造りに歌われておっての、酒楽(さかくら)の歌と呼ばれておる。

 

◎神の言葉を疑い、神の怒りを受けて死んだタラカシナカツヒコの大君じゃが、その御年は五十あまり二歳(いそとせあまりふたとせ)御陵は河内の恵賀の長江にあるのじゃ。大后の御年は百歳(ももとせ)じゃ。

 

◎神の名を賜うたホムダワケは軽島の明の宮に座しての、天の下を治めたもうた。この大君の御子たちは多くての、あわせて二十あまり七柱(はたちあまりななはしら)もあった。御子たちが多いと日嗣の争いが起こるものじゃが、この大君の御子たちの跡継ぎ争いも、激しいものじゃった。

◎この話はホムダワケ・オホサザキに移っていく。