◎かんちゃんから、「薪能に行きませんか」というお誘いを受け、「行く」と二つ返事で快諾した。二つ返事:いつも使う語句ながらなんだか不安になって調べると:「はい はい」とこころよく快諾するからだって・・。話はとんだが、「それじゃ 阪急淡路駅のホームで会いましょう 時間は おって・・」という話が決まっていたが、80歳を超えたかんちゃん、「体調が思わしくないので チケットを2枚送る」と連絡が来た。さあどうしようと思案をしていたが、我が家の恒例“墓参り”毎年盆と暮れに行くがそれを兼ねてカミさんに聞くと、同道するというので決めた。

 

◎盆と暮れの墓参り。カミさんの家の墓は、布施の長瀬に大きな墓だらけの場所がある。夏はぼんぼりを点し暗い時に行くとなかなか風情のある雰囲気、「盆踊りは こういう設定場所が発祥かな」と思わせる賑やかさである。元村人がみなさんで管理する焼き場を併設した大きな墓地、昔は屋台も出ていたような気がする。管理費が2000円とぼんぼり管理代が3000円である。薪能が生國魂神社で5時半から始まるので、3時に家を出ればいいかと予定していた。今日からお盆が始まり全行的に帰省ラッシュの日だと聞き、「ならば大阪市内は空いているだろう」と高をくくっていたら、だらだら道が混んで墓に着いたのは4時をだいぶ回っていた。すんなり駐車場に車を止め、墓に水をかけ、持参の花を飾り、線香を点した。なんと、ぼんぼりを配線するあんちゃんが4時までで帰ってしまい、泣く泣くぼんぼりは車に積まれた。「また年末にね」と次の墓に向かった。出るときには駐車待ちの車が5.6台並んでいた、ラッキーであった。

 

◎次は岡村家の墓。生國魂神社と聞き、「いつも 墓参りする 場所じゃないの」その近所の寺の中に岡村家の墓はある。元来、岡村家は本籍が山口県にあり、熊毛郡平生町の寺の中に墓がある。明治維新が終わり一旗揚げようと当主がアメリカに行き、「後は頼むぞ」と元の家来に言い渡したとか。その家来の子どもさんから、「殿様よりお預かりした・・」というような封書があったようなことを覚えている。今は山口県の墓は、おやじの言い渡しで棄てている。棄てているとはいえ、おやじははっきり山口県の寺と絶縁したのではないらしく、なんじゃかじゃと言ってきていたが、最近は無くなった。これまた話はとんだが、岡村家の墓に水をかけ、花をいけ、線香を点して、「また冬になあ」と別れを告げた。

 

◎駐車場は墓のまわりと探したが、1500円タイムの駐車場が満杯で、大阪市の駐車場に止めた、ここも1400円だった。5:15分に墓参りが終わり、歩いてたった3分のところである生國魂神社の門をくぐった。冬はオレ、頻尿癖があり墓参りのおりには生國魂神社のトイレを借りているので勝手知ったるお宮さんである。

 

◎社殿の前に舞台が造ってあり、パイプ椅子はほとんど人で埋まっている。千人ぐらいの観客がおられるかな、まだ6時にならない時間帯はまだ夕日が沈みきってない明るさ、日差しはないがまだまだ暑い。演目は、能の敦盛、狂言の長光、能の井筒、その合間に踊りがある。

◎敦盛は、半能となっている。時間短縮のためはょっているらしい。一ノ谷の合戦で打ち取られた平敦盛の霊が打ち取った相手の熊谷直実(法師)の前に現れ合戦の有様を語り舞い、弔いを乞う。

 じんかん五十年、下天内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生をうけ、滅せぬもののあるべきか。

◎狂言:長光(名刀):名刀の持ち主、あつかましい刀泥棒、仲裁の目題の3人。にやにや見てしまった。

◎少し暗くなってきて火が入った、焚火が燃え上がる、いよいよいい雰囲気だ。二十歳の頃に奈良の春日の御祀り、夜中の暗い中に焚火が燃え上がっていたのを思いだす。

帰らぬ夫の業平を、女の霊が待ち続け舞う。伊勢物語の「筒井筒」を軸とし、在原業平と紀有常の娘の恋、待つ女である井筒の女が、在原の形見の着物を着て舞う。

◎暗くなり火が燃え時が流れる。