◎今昔物語集の中に、狐の話がいくつか出てくるので紹介します。

 

◎38:狐変女形値幡磨安高語第三十八:きつねをむなのかたちにへんじてはりまのやすたかにあふこと

◎近衛舎人(舎人;貴人の儀仗兵)である播磨の安高が月明かりの秋の夜、宴の松原(内裏の西の空き地)で顔を扇で隠した絶世の美女に出会い、これぞ高名な豊楽院の妖狐化と怪しみ、追剝を装って刀で脅しにかかると、美女は悪臭強い小便をひっかけ、たじろぐすきに狐に早変わりして遁走し、二度と姿を現さないという話。

◎その後安高は、夜中と言わず、夜明けと言わず、何度も内野通りに出かけたが、狐はすっかり懲りたのか、まったくで会うことが無かった。狐は美しい女に化けて安高を○○そうとしたしたがために、危うく殺されるところであった。されば人は、人里離れた野原などに一人でいるときは、きれいな女など現れても、うっかり好きな心など起こして、手を出してはならぬものである。

 

◎39:狐変人妻形来家語第三十九:きつねひとのめのかたちとへんじていへにきたること

◎38同様狐が化け損じた話。ある夕方、京の雑色男(雑役に従事する下賤な男)の家に前後して妻が現れ、当惑した男が糾明の末、先立って入来した妻を狐と判じて捕らえておいたところ、やがて悪臭ふんぷんたる小便をひっかけ、正体を現して遁走した話。狐が化けの皮がはがれたとみるや、悪臭ふんぷんたる小便をひっかけ遁走するのは、鼬の最後っ屁にも似た常套手段のよだ。

◎思うにこの男は思慮のない男である。二人の妻を捕らえ縛り付けておけばよかった。

 されば、こういうことがあった場合は、心を鎮めよくよく思いめぐらすべきである。すんでのところで本当の妻を殺さずにすんだのでまあよかったと人々は言いあった。

 

◎40:狐詫人被取玉乞返報恩語第四十:きつねひとにつきてとられしたまをこいかへしおんをほうずること

◎狐憑きの女から狐秘蔵の白玉を取り上げた若侍が、狐の懇願に応じて返してやると、狐は恩義に感じて日ごろ侍の身辺を警護し、侍が広隆寺の参詣の帰途、狐の道案内で盗賊の難を逃れ得た話。ともすれば人を化かし、毒害を流す狐が、と文末に評されることは、一見矛盾するかにみえながら、別の視座からの評語として興味がひかれる。

◎最後の評:思うに、かような獣は、かくも恩を知り、嘘はつかぬものである。

さればもしも何かの機会があって、助けてやれそうなときは、かような獣はかならず助けてやるべきである。ところが人間は思慮があり、因果を知るはずのものでありながら、獣よりはかえって恩を知らず、不実な心もあるのだ、とこう語り伝えているということだ。

 

◎41:高陽川狐変女乗馬尻語第四十一:かうやがはのきつねをむなにへんじてむまのしりへにのること

◎女の子に化けて高陽川(紙屋川:京都北西部を流れ桂川にそそぐ。紙屋院の紙すき場があった)のほとりに出没し、通行人の馬に乗せてもらっては途中で逃げだす狐がいた。それが滝口の本所で話題になった時、捕縛方を買って出た滝口の武士が、最初の失敗に懲りて、二度目は警戒を厳かにし、見事滝口の本所まで捕らえてきて、散々いたぶった末逃がしてやった話。後日評として、それから十余日後、滝口の武士が例の狐にあって、馬に乗るように進めたところ、狐はもう懲り懲りと答えて消え失せたことが付されている。

◎人を化かそうとしてまったくひどいめを見た狐である。この出来事は最近の事らしい。珍しい話なので語り伝えている。思うに狐が人の姿に化けるのは昔からよくあることで、格別めずらしいことではない。だが、これは化かし方が格別にうまく、鳥部野まで連れて行ったのだ。

狐はその時の人間の心の持ちようで、やりかたを替えるのではなかろうか。