お疲れさまです
福岡市博物館の後は、長浜食べて福岡県立美術館に

ココで開催中なのはコチラ

「追憶水木しげる ゲゲゲの人生展」
小学生の頃、好きだったなぁ~

(水木 しげる 1922年3月8日 - 2015年11月30日)
天才少年画家と呼ばれた少年時代
近所のお婆ちゃんから妖怪の話を聞かされ、目に見えないモノに興味津々だったそうです。
へその緒や、スクラップ帳、
小学生離れした、すごい絵が展示してありました❗
(想い 1936年)
そして21歳の頃、召集令状が届き、激戦地であるパプアニューギニアに送られたそうです。
南方戦線は本当に凄惨だったらしく、この時に敵機の爆撃で重症を負い、麻酔無しで左腕を切断したそうです。
従軍時代の苦悩や生々しい悲惨な想いが感じられました。
でも、南米の大自然には深く感動したらしく、そして他の兵隊のように威張り散らさなかったようで、原住民族とも意気投合し、この時の関係は生涯続いたそうです。
(スンゲンで爆撃を受ける 1988年)
帰国後、片腕を失ったものの、絵の情熱だけは失われる事はなく、
紙芝居作家から始まり、貸本漫画家となりましたが全く売れず、
貧困生活からなかなか抜け出せなかったそうです。
戦争モノからヒーローモノ、少女漫画まで描いてたみたいです。
この頃(30歳)に「ゲゲゲの女房」こと布枝さんと結婚したそうで、当初暮らしていた居間の再現コーナーがありました。
ちゃぶ台のバナナは、当時、腐りかけたモノを安く買って食べていたそうです。
長女もこの時期に産まれたらしく、漫画家を辞める事も考えたそうです。
だが、この時期に描いていた漫画「墓場鬼太郎」

後に、鬼太郎が水木氏の人生をひっくり返します❗❗
(墓場鬼太郎 怪奇一番勝負 1962年)
一度は打ち切りになったそうですが、連載再開を望むファンレターが多数届き、
それを読んだ出版社は、連載再開!
そして、「ゲゲゲの鬼太郎」とタイトルもリニューアルし、空前絶後の大ヒット😁😁
(ゲゲゲの鬼太郎 妖怪飛行船巨クジラ号 1936年)
この時、水木しげる40歳❗❗
その後も、「悪魔くん」
(悪魔くん 単行本カバー 1985年)
「河童の三平」など
(河童の三平 扉絵 1969年)
ヒット作を連発して、45歳にして、ようやく人気作家の仲間入りを果たしたましたー😁😁
(ゲゲゲの鬼太郎 妖怪危機一髪 1936年)
でも、売れっ子となり多忙を極めましたが、
50歳を過ぎた頃から仕事を減らし、かねてより興味を持っていた妖怪研究に没頭し、
日本全国、そして世界中を飛び回ったそうです。
この頃、出版してた「妖怪大百科」
(砂かけ婆 1984年)
コレもみんなで見てたなぁ~😄
(一反木綿 1991年)
水木先生が世界中から集めた、妖怪、精霊の画面や像なども展示してありました❗
60ヶ国も行ってるらしい。
(三大スター夢の競演 妖怪総進撃)
そして最後のコーナーには、50年以上支え続けた「ゲゲゲの女房」へのインタビュー映像や、
漫画家、小説家、声優、俳優、タレントなど、約50人の追憶メッセージが並んでいました。
水木愛が溢れ過ぎてて、マジ泣けてくる。。。
妖怪を身近にしてくれたのは、絶対水木しげるのおかげでしょう!!
(しゅつげき!ゲゲゲの鬼太郎)
没後2年、色あせない本物の作品、そして人生に感無量でした!
いや~!また観たくなった
