お疲れさまです
月曜日は久留米市美術館に行って来ました

ココで開催中なのはコチラ

二科のドン

「誕生120年 東郷青児展」
東郷の作品は2展ほど観たことがありますが、
我が輩が楽しみにしていたのは、東郷の代名詞ともいうべき美人画

スモーキーな色彩で描かれる女性像。
一目でわかる東郷青児の絵。
「東郷美人」「東郷様式」が確立されるまでの軌跡が、とても解りやすくたどれる展示会でした

(東郷 青児 1897年(明治30年)4月28日 - 1978年(昭和53年)4月25日)
東郷青児と言えば、スモーキーカラーで描かれる柔らかな輪郭、切れ長の目をした女性画を思い出しますが、
初期の頃は、美人画とは程遠い抽象画を描いていたみたいです。
(「コントラバスを弾く」 大正4年)
19歳(大正5年)の時、「パラソルさせる女」で二科展に初出品し、いきなり二科展を受賞し衝撃のデビュー

(「パラソルさせる女」 大正5年 )
7年間留学したフランスで、ピカソとも交流があったらしく、ソレっぽいキュビズム作品が並んでました

東郷では珍しい風景画
(「ブローニュの森の風景」 大正10年)
我が輩が初めて東郷作品と出会ったのが、この「ピエロ」

(「ピエロ」 大正15年)
藤田嗣治が見に来たというパリで描いた東郷の自信作「サルタンバンク」

(「サルタンバンク」 大正15年)
独特な造形と重厚な色彩に、旅芸人の哀愁を調和した初期の代表作。
この作品が仕上がった時、嬉しさのあまりアトリエにピカソを呼んで見せたらしい

帰国した1928年は、関東大震災から復興したモダニズム文化の時代。
フランス仕込みのセンスが受け入れられ、デパートの壁画や広告デザイン、舞台装飾などの仕事も舞い込んで来たそう。
(「樹下女性」 昭和3年)
(「超現実派の散歩」 昭和4年)
不思議なノスタルジックさが印象的です

(「手術室」 昭和5年)
(「扇」 昭和9年)
藤田嗣治と競作したデパート大装飾画。
(藤田嗣治 「海の幸」 昭和11年)
(「山の幸」 昭和11年)
今だから言える・・・贅沢すぎ・・・

(「花を摘む女(むすめ)達」 昭和12年)
そして1939年頃からモダン美人の到達点、
「東郷様式」が確立されていきます。
(「星座の女」 昭和19年)
1945年は、終戦から復興の時代。
(「郷愁」 昭和22年)
東郷は二科展の再開、復興期の装飾画の第一線に立ちましたが、描いた女性は無表情となりました。
(「平和と団結」 昭和27年)
でも日本の主権が回復した1952年から、哀愁漂う表情が復活します

(「バイオレット」 昭和27年)
そして、この頃に東郷の描く美人画「東郷様式」が確立されたそうです

(「四重奏」 昭和30年)
東郷の画法は、まるでCGのよう。
(「バレリーナ」 昭和32年)
でも間近で見ると、しっかり筆の跡もありました

(「脱衣」 昭和33年)
血の通ってない雰囲気、
背景、装飾など、暗めのスモークカラーが多いにも関わらず、
何故か冷たい感じがしない。
(「望郷」 昭和34年)
身体のラインが丸みを帯びてるからなのか、むしろ暖みや、
落ち着いたエレガント感が漂っていました。
(「レダ」 昭和43年)
カラフルではないのに華を感じる。
なんともいえない不思議な魅力。
実写的ではない美人画は、ローランサンと並ぶ、
数少ない「カワイイ芸術を創れる画家だな」と、我が輩は思いました。
(「若い日の思い出」 昭和43年)
ただのノスタルジックでは終われない東郷マジック

コレが「東郷様式」かぁ~

今だに、東郷がデザインした缶容器や包装紙を使っている、
お菓子店があるのも頷けました

東郷青児を通し、古き良き日本の姿を肌で感じ、
何に憧れ、何に夢見てきたか、
日本の歴史をたどる辿ることができる、素晴らしい展示会でした
