お疲れさまです
遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます
今年も宜しくお願い申し上げます
こないだの月曜日に福岡市美術館で開催中の
「藤野一友と岡上淑子」
に行って来ました
藤野一友は、は1950年代より二科会を中心に活動した、幻想的で緻密な画風で知られる画家です。
神話や西洋古典絵画、シュルレアリスムから影響を受けた作品を描き、舞台美術や詩や小説の執筆、装丁、挿絵など、ジャンルを横断し幅広く活躍したそうです。
(藤野一友 1928年10月12日 - 1980年10月11日)
藤野の作品に出合ったのは4年前。
(「抽象的な籠」 1964年)
目の前に飛び込んできたエロスと怪奇の融合作品
(「聖アントワーヌの誘惑」 1958年)
グロいけど何故か引き込まれる不思議な魅力があった。
(「町工場のバラード」 1955年)
そんな藤野のエロファンタジーな世界にいざ
藤野の作品で特に目を惹くのが、異形な女体の数々
(「《朝》のための習作」 1951年)
(「堕天使」 1952年)
なんじゃこりゃ
(「夜」 1954年)
(「中世の上を通過するメルクレスとプシケ」 1954年)
相変わらずヤベーな・・・
(「ヴィナス誕生」 1955年)
(「ルクレチア」 1957年)
神話や中世絵画の影響を受け、そこに独自の発想を盛り込み、幻想怪奇な世界を描く異色作家として認知されていたそう。
(「祈り」 1957年)
(「木の精」 1958年)
この発想力ヤバすぎだろ・・・
(「神話」 1959年)
(「火」 1956年)
我が輩は初めて見た時、ダリのタッチに似ていると思ったんですが、藤野自身も実際に言われた事があったそうで、意識し尊敬していたそうです。
(「不安の家」 1960年)
(「曳航」 1959年)
あと、「中川彩子」と言う名でSM雑誌の挿絵など描いていたそうで、コッチの名の方が有名なんだとか
(「眠り」 1959年)
(「《レダのアレルギー》のための習作」 1961年頃)
(題不詳)
藤野は、演劇や文芸の世界との関りも深く、バレエの台本演出など舞台美術の仕事もしていたそう。
(「マヤに扮する杉村春子」 1958年)
三島由紀夫作品の挿絵なども担当し、その活躍ぶりが伝わっていました。
(「三島由紀夫『薔薇と海賊』表紙原画」 1958年頃)
しかし1965年の37歳の時に、脳卒中に倒れ右半身が不随に。
2年後、リハビリを重ね左手を駆使して創作活動を続けましたが、1980年(昭和55年) 10月11日、急性心不全で51歳にして他界。
だが没後、SF小説の装画として作品が使用されるなど、その作風は現在まで多くの人にインパクトを与え続けました。
(題不詳 1959年)
(「カテドラル」 1961年)
(「眺望」 1963年)
展示会を見て我が輩が感じた事は、
漫画っぽさも感じ取れる表現。
(「卵を背負った天使」 1964年)
ソレによって展開する想像力の混戦。
(「肉を着た鎧」 1965年)
エロ?グロ?
猟奇?怪奇?
藤野の描く独特な幻想絵画は、そんな単純な理性では割り切れないモノを感じました。
(「未醒」 1965年)
異様な女体達によるワンダーランド
不思議なエロファンタジー空間を堪能させて頂きました
最終日だったせいか、ポストカードが全く無かったのがチョイ残念
でもまぁ、久々に長浜食えたからいっか
でわでわ
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