第487回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・STAP細胞の論文取り下げを主張する共著者・若山照彦教授の「再現実験は小保方抜きでは出来ない」と平気で云う神経をヤフー知恵袋に問うた巻

今日の弊欄は、朝ヤフー知恵袋に投稿した「STAP細胞騒ぎについての質問」をコピペしてオヒラキです。回答を頂いたので、それも 追加しておきます。

ー(以下ヤフー知恵袋
「STAP細胞騒ぎについての質問」 引用)。
STAP細胞騒ぎについての質問です。共著者・若山照彦教授は民放の単独インタビューで、できた瞬間に立ち会っていたかの質問に頷いて「ありえないことが起ったということで、信じられなかったし、本当だったらすごいことで、全身が震えてきたし、もしこれが単純なミスだったら大恥かくしというので、喜びたいけれども不安だったという、そんな感じですね」と答えています。

ところが其の若山氏が論文取り下げを提案しているそうですが、(上記のように)彼自身が「もしこれが単純なミスだったら大恥かく」と云っていたことが其の儘おこって現在大恥をかいているのですが、何故こんなことになったのでしょうか?

質問者が疑問に思うのは、小保方晴子が最初の投稿時に云われたように、もしできたら「過去何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」ことになる「革命的な大事件」になる筈なのでしょうから、若山氏が平気で「理研で小保方と一緒の時はできた。理研でも、小保方抜きではできなかった。山梨大学に帰ってからでもできない」とノンキに語っているのが(小保方の「コピペ博士論文」以上に)信じられないのです。つまり、わずか1回の(小保方との実験で)成功したといっても、「過去何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」業績なのだから、念にも念を入れて確認すべきなのに、それを怠って平気でいるのは、(素人である)質問者には不思議で仕方ありません。何故こんなことになったのでしょうか?

若山氏は、クローン研究では世界的権威だそうですが、そうであるならばなおさら、氏自身の研究でも、STAP細胞は「信じられないことが起ったこと」なのでしょうから、「ホンマカイナ」と繭に唾しながら、何度でも確認してのちに発表すべきことだったと思うのです。それがノンキに「理研で小保方と一緒の時はできた。理研でも、小保方抜きではできなかった。山梨大学に帰ってからでもできない」と平気でテレビに向って云っているのを聞くと、オイオイ、たった1回の「成功」で(自分がこれまでやってきた)研究を否定するような「STAP細胞論文」の共著者として発表した気持ちが理解できないのです。

質問者はへそ曲がりで「過去何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」なんていうのは聞くだけでワクワクして喝采したのですが、それは素人だから単純に喜んだだけで、専門家ならば別の立場に立つべきで、なぜ専門家の若山氏が、たった1回の実験成功で突き進んでいったのか、誰か御意見をお聞かせ下さい。いま各局のワイドショーは新聞を引用しながら「小保方も論文撤回に同意」を伝えていますが、悪いのは小保方だけではない筈です。
質問日時:2014/3/14 07:29:20

〔補足〕
質問者は戯れ好きで、できれば、オレンジジュースを飲んだ唾を塗った「繭」が(其の酸性ゆえに)STAP細胞のように中の細胞が変化した・・・なんてことが起これば面白いのですが、上記質問で「繭に唾」と書きましたが入力間違いで、正しくは「眉に唾」です。
補足日時:2014/3/14 08:17:11

〔第一回答〕
bsiebkubnn さん
確かにこれほど重要な研究発表をするのに
十分な検証せずにやったことに呆れます。
それも研究始めたばかりの若い研究者に
全部押し付けるような形になっているのは
研究体制がおかしいのでは?
補足日時:2014/3/14 11:13:54
ー(以上ヤフー知恵袋「STAP細胞騒ぎについての質問」引用)。

(「箸にも棒にも掛からない問題病院」に数多くヒットするように)、「さいたま市桜区田島の三愛病院の口コミ・評判・悪評・恨み節・帰らぬ繰言・うわさ」という言葉を入力して、「
三愛病院の医療姿勢を改善させる会 」のブログにリンクを貼っておきます。此の記事の「医療過誤死亡事故」の反省がまったく生かされずに(むしろそれよりもずっとヒドイ形で)、私のオフクロは胃カメラ検査直後に急死させられ、院長は説明を一切行なうことなく机を叩いて(あまりの突然の急死に呆然としている)遺族を恫喝したのでした。嗚呼。

自分のブログで「あること」をいつ書いたかを調べるのに、私は片仮名の「ナメタライカンゼヨ」と「検索語」の2語でググッテいます。今回の理研の騒動で、そういえば、
玉蟲文一 先生のところに行ったことがあるなあ、と「ナメタライカンゼヨ・玉蟲文一」の2語でググッテモ残念ながらヒットせず、「一致する情報は見つかりませんでした」と表示されます。だけど、玉蟲先生のお宅には2度ほどお伺いして、八ヶ岳だったかの先生の山荘にウチの装置を付ける相談に(結局此の話は実りませんでしたが)お伺いして、応接間にかかっていた村山友義の絵を見ながら(たしか「Tom」とサインが入っていた筈で)(たしか隣が息子さん宅で)(たしか新宿中落合の消防署の裏でしたが)村山友義も落合だったから御近所仲間だったのかなあとぼんやり考えたことを思い出し、たしか、其のことを此の欄に書いた筈だと思ってググッテみたのでした。残念ながら空振りでヒットしないのですから、其の「書いた記憶」は何なのだろうかとちょっと恐ろしい気持ちもしています。そうだ、理研といえば、落合第二小学校・西戸山二中を通じて一年後輩だった女の子が、理研に行ったとのことだったので玉蟲先生の名前を出したのですが、驚いたことに、其の理研女子(「リケジョ」)は玉蟲文一の名前を全く知らないのでした。もう其の頃から、理研といっても(出来る人が行くと思い込んでいましたが)まあそんな程度なのかなあと意外に思ったことを思い出します。だって、先生監修の『岩波理化学辞典』一冊だけでも、理系なら、(金が無くて買わなくとも)一度くらいはのぞいたことがある筈だからです(それとも今回の小保方嬢のようにお手軽に博士論文を書くように理研に入れ、『岩波理化学辞典』を一度ものぞくことなく理研に行けたのでしょうかねえ、にわかには信じられない話ですが)。いまウィキペディアを見ると、1982年にお亡くなりになっているので、まあ、もう35年くらい前、ロング・ロング・アゴーのことです・・・。也

平成26年03月15日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)