第476回さいたま三愛病院糾弾ブログ /番外編・手塚富雄のエッセイの「小学校の高いコンクリート塀」についてヤフー知恵袋に質問し回答を貰って林家木久扇風の「ヘー」と返したかったのにの巻

今日の弊欄は(木久扇風にいえば)「塀欄」で、お昼、ヤフー知恵袋に投稿した「小学校の塀についての質問」をコピペしてオヒラキです。

ー(以下
ヤフー知恵袋「小学校の塀についての質問」 引用)。
小学校の塀についての質問です。昭和41(1966)年の手塚富雄のエッセイに、「このごろの小学校の校庭は、たいがい高いコンクリート塀をぐるっと張りめぐらしているらしい」とあり、云われてみれば、たしかに、東京の小学校は「高いコンクリート塀」で囲まれているようです。では、田舎は?

これは文部省からの指令があったからでしょうか、教えて下さい。また中学校についてはどうでしょうか。

手塚先生は「犯罪事件などがなければ、今でも校庭のあのにぎやかさは見られるはずだったと思うと、残念である。」と仰せで、此の文章によれば、ある「犯罪事件」、例えば(小学校生徒が被害にあった)特定の事件がきっかけになって「高いコンクリート塀」に変っていったのでしょうか、教えて下さい(※質問者は昭和32年に小学校を卒業したのですが、其の時は、手塚先生がエッセイを発表された時から9年前で、もう其の時には落合第二小学校は高いコンクリート塀で囲まれていました。つまりある「犯罪事件」がきっかけにしても、それよりも前の事件ではないかと思われます)。

手塚先生は(近所に新設された)新宿区立落合第六小学校について書かれているのですが、質問者は落合第五小学校が新設される頃に(広島市幟町小学校から)落合第二小学校に転校して、(落五小の横の)山手通りがまだ未開通で其の広場で遊んだ記憶があり懐かしく其のエッセイを読みました。手塚先生は「校庭で子供たちの遊ぶ姿は、町の人の前に公開だった」と仰せですが、今日のシンデレラタイム直後、弊「さいたま三愛病院糾弾・楽天ブログ」に『手塚富雄著作集』第八巻の其のくだりを文字起こしと画像添付しておきますので、参考にして御教示賜れば幸甚です。
質問日時:2014/3/3 15:52:57
ー(以上ヤフー知恵袋引用)。

(「箸にも棒にも掛からない問題病院」に数多くヒットするように)、「さいたま市桜区田島の三愛病院の口コミ・評判・悪評・恨み節・帰らぬ繰言・うわさ」という言葉を入力して、「
三愛病院の医療姿勢を改善させる会 」のブログにリンクを貼っておきます。此の記事の「医療過誤死亡事故」の反省がまったく生かされずに(むしろそれよりもずっとヒドイ形で)、私のオフクロは胃カメラ検査直後に急死させられ、院長は説明を一切行なうことなく机を叩いて(あまりの突然の急死に呆然としている)遺族を恫喝したのでした。嗚呼(※今日は「うわさ」を追加

それでは(ヤフー質問で約束したとおり)、手塚富雄の著作集第8巻所収の『偶感二題』から引用させて頂いておきます(※150~151頁)。
ーQ始ー
休み時間の校庭での子供たちの騒ぎ声が家の中にいても聞こえてくるが、そのときも安心感のようなものが湧いてくる。なぜかはよくわからない。元気のいい生命が、たくさんきょうも無事に育っているということを、無意識にうれしく思うせいかもしれない。
このごろの小学校の校庭は、たいがい高いコンクリート塀をぐるっと張りめぐらしているらしい。わたしたちの「落六」もそうである。だから、学校に近づいても、子供の遊ぶ姿を見ることはできない。子供についての犯罪事件などから、そういうことになったのだろう。昔は校庭で子供たちの遊ぶ姿は、町の人の前に公開だった。立ちどまってそれを眺めはじめると、いつまでたっても飽きることがない。いつのまにかそれを眺める連れがそばにできる。追っかけたり、奪いあったり、大声で訴えたり、笑ったり、生命そのものの躍動である。「まるで動物園だ。」それを見ていた職人ふうの小父さんが、そう洩らしたのを聞いたことがあった。それを言う顔は嬉しそうだった。そういう光景を見てうれしく楽しくならない人はないだろう。だから、犯罪事件などがなければ、今でも校庭のあのにぎやかさは見られるはずだったと思うと、残念である。
ーQ終ー

いつからだろうか、子供相手に声をかけなくなったのは。子供相手の犯罪事件が多発したので、(知らない子供に)声をかけるのが怖くなって(ここ十年くらいでしょうか)自主規制して、最近では、まったく声をかけたことがありません(※まあ、同じマンションの中では向こうもゆるむしこちらも少しはゆるみはしますが)。近所に幼稚園や保育園があるので、(手塚先生のように)塀の外から「生命そのものの躍動」を眺めていたいのですが(ナニシロ普段でも職質を受ける程なのですからそんなとこで停まったらエライことになるので)、今は我慢して、子供達の騒ぎ声のみを聞かせて貰うだけで(立ち止まることなく)自転車をこいでいます。トホホ。(併行運営する3ブログのうち)楽天ブログにのみ画像を添付 しますが、今日の画像は中央公論社『手塚富雄著作集』第八巻151頁です。ああそうだ、昨日の弊欄で言及した「大正天皇の御落胤」の手塚文を『一青年の思想の歩み』の中の文章と(間違って)書きましたが、それは著作集第8巻143頁で終わっていて、其のあとの頁は多くは単行本未収録などのエッセイを集めたものでして、「大正天皇の御落胤」に触れた文章は同じ巻の190~198頁の『世の中の客と店持ち』(昭和27年5月執筆)にありますので、お詫びして訂正します。03日23時40分にヤフー知恵袋にいって確認しましたがまだ回答を頂けておらず、(タイトルにした如く)
木久扇風に「ヘー」と言いたかったのですが・・・。ああそうだもう一つ思い出した、落二小の正門前のアパート2階に、大きな看板がかかっていましてね、ナントそれが「ちちもみ療治」。広島から転校したのは小学校4年の2学期からでしたから仮名は全部読めて(療と治を習ったかは分かりませんが)「ちちもみ」に(何人かの級友とともに)エラク興味をひかれました。そういえば、最近「ちちもみ療治」の看板を見かけませんねえ。

平成26年03月04日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)