第472回さいたま三愛病院糾弾ブログ /番外編・手塚富雄の本で知った「ロンドン・タイムズ」の社説「日本は下り坂になる」についてヤフー知恵袋に質問した巻其の1

今日は、お昼にヤフー知恵袋に投稿した「明治天皇崩御を報じたロンドン・タイムズについての第一質問」をコピペしてオヒラキです。

ー(以下ヤフー知恵袋
「明治天皇崩御を報じたロンドン・タイムズについての第一質問」 引用)。
明治天皇崩御を報じたロンドン・タイムズについての第一質問です。其の社説に「明治天皇によって興った日本は、いまこの天皇崩御を境目として下り坂に向うであろう」とあるとのことですが、いつの社説で表題は何で
すか?

上記の「The times」の原文をコピーするには、どうすればいいでしょうか。または、原文が転載されている資料があれば教えて下さい。

また、其の日本語訳全文はどこに書かれているでしょうか教えて下さい。其の社説の前半部(つまり「明治天皇によって興った日本」で「上り坂」部分)についてはたくさん引用されているのですが、後半部すなわち「下り坂」の部分については省略されていることが多く、是非、全文を知りたく思っています。

手塚富雄の『一青年の思想の歩み』第一部「日本は下り坂になったか」で上記引用文を知ったのですが、今日のシンデレラタイムを過ぎたら、弊「さいたま三愛病院糾弾ブログ」に該当箇所を画像として添付する予定です。
質問日時:2014/2/27 14:51:41.
残り時間:7日間.
閲覧数:29
ー(以上ヤフー知恵袋引用)。

(「にも棒にも掛からない問題病院」に数多くヒットするように)、「さいたま市桜区田島の三愛病院の口コミ・評判・悪評・恨み節」という言葉を入力して、「
三愛病院の医療姿勢を改善させる会 」のブログにリンクを貼っておきます。此の記事の「医療過誤死亡事故」の反省がまったく生かされずに(むしろそれよりもずっとヒドイ形で)、私のオフクロは胃カメラ検査直後に急死させられ、院長は説明を一切行なうことなく机を叩いて(あまりの突然の急死に呆然としている)遺族を恫喝したのでした。嗚呼。

埼玉大学の入試が昨日終わったものですから、(先日からコピーをとりたいと思っていた)小保方晴子の「Nature」誌の2論文コピーを依頼しようと思ったのですが、学外者は駄目とのことでした。トホホ(※紙媒体ならば学外者でも勝手にコピーがとれるのですが今は「電子版」しか購入していないので学外者は駄目とのことです。※※幸い
ウィキペディアに頁数まで特定されています ので次の年金日が近付いたら国会図書館にネットで頼んでみます=僅かなコピー費用でさえ工面出来ないのですからトホホのトホホで、やはりソロソロ本気になって金を稼がねばならないのかも知れません。でもね、今のところ、えらいスキャンダルまみれの話ばかりでサテと足踏み状態で前に踏み出せないでいます。どこかからキッカケを貰えば、ナニッと反発してムロン本名も明かしてドンパチに専念出来るのですが・・・。まあ当ブログは其の為の「起爆剤」のつもりでいるのですが、しけているのでしょうナカナカ火がつかないのです)。今日話題にした「The times」も、古いものでも(雄松堂書店の)サイトで見られるようですが、どうも、無料の「お試し版」でさえ大学関係者でなければ駄目なようで、トホホです。

ああそうだ、ヤフー知恵袋欄に「取り消し、削除された質問」というコーナーがあって、運営者だけしか覗けないのですが、其処を開けてみると「※2週間以内に取り消し、または削除された質問が表示されます。」という表示があって、今は二つの質問が表示されています。一つは、明治大学の入試問題についての質問で弊欄2月9日付に転載しているようです。もう一つは、「明治天皇崩御にともなう新聞の全紙面黒枠についての質問」です。

ー(以下「明治天皇崩御にともなう新聞の全紙面黒枠についての質問」引用)。
明治天皇崩御にともなう新聞の全紙面黒枠についての質問です。手塚富雄の『一青年の思想の歩み』に「明治天皇のときはその長い諒闇を象徴して、各新聞紙は一年間重い黒枠でかこまれていた」とありますが本当ですか?

「全紙面黒枠」は(何紙も)確かに見た記憶がありますが、手塚氏の云うように「各新聞紙は一年間重い黒枠でかこまれていた」とはとても思えず、(明治天皇崩御にともなう)「新聞紙の黒枠」について、教えて下さい。

また、(明治天皇崩御にともなう)「全紙面黒枠」について、(いつからいつまでそうだったのか、各新聞紙が統一的にしていたのかorバラバラだったのか等)調べた結果・資料があれば教えて下さい。ネット上で、実際に見ることが出来ますか?

質問者の感じでは、「1年間」はあまりに長いのではないかと思っており、さりとて、どれくらいが適当か分からないのでお尋ねする次第です。

あるいは、「黒枠」の施し方にも質問があって、崩御の直後ならば「全紙面・全頁の黒枠」もあり得るでしょうが、1年間も「全紙面・全頁の黒枠」だったとはとても思えず、明治天皇の崩御にともなう「黒枠」の規模(紙数・頁数・期間)についての調査結果があれば教えて下さい。
質問日時:2014/2/15 15:09:08
閲覧数:34
回答数:0
ー(以上「明治天皇崩御にともなう新聞の全紙面黒枠についての質問」引用)。

これにも回答を頂けなかったのですが、どうも、其の回答の一つをネットで見付けましたので、(事実かどうかはまだ分かりませんが)とりあえず引用させておいて頂きます。それは、「吉原政巳著『維新史談』を読むブログです」というサイトです。
-Q始ー
七月三十日午前零時四十三分、天皇崩御。午前一時十分、宮内省官報号外で告示され、各新聞社は一斉に号外を発行し、悲報は全国津々浦々に伝えられた。国民の悲嘆は限りなく、宮城前広場には涕泣の声が満ちた。そして伝え聞く全世界に大きな衝撃を与えた。/
 国内新聞は、九月十七日まで全頁を黒枠でかこんで、哀悼の意を表した。外国新聞も「明治天皇の死によって、世界はもっとも偉大なる人物の一人を失った。天皇の治世はおそらく日本の歴史中、もっとも深く記憶すべき時期として永久に伝えられるであろう」(ロンドン・タイムス)といい、「明治天皇の治世における日本の発展は、世界の歴史中その類例を見ないほど急速にして、かつ目ざましいものであった」(モーニングポスト)などと述べた/(256頁11行~259頁1行)
ーQ終ー。
とありまして、著者・
吉原政巳は「国内新聞は、九月十七日まで全頁を黒枠でかこんで」と書いていますので、正しいかどうかは現在のところ不明ですが(かなりのサイトに同趣旨の記述がありますので)とにかく、手塚先生の云う「各新聞紙は一年間重い黒枠でかこまれていた」とは違う記述があったので此処に引用させて頂いておきます。今日も(字数オーバーではねられないように)祈るばかりです。なお画像は(いつもの通り)楽天ブログのみに添付しますのでお手数ながらリンク先に跳んでご覧下さい。手塚富雄の講談社版『一青年の思想の歩み』19頁で、明日の弊欄の参考画像にもなるものです。也

平成26年2月28日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)