第474回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・手塚富雄の本で知った「ロンドン・タイムズ」の社説「日本は下り坂になる」についてヤフー知恵袋に質問した巻其の2

今日は、午後ヤフー知恵袋に投稿した「明治天皇崩御を報じたロンドン・タイムズについての第二質問」をコピペしてオヒラキです(※第一質問は2日前の第472回参照)。

ー(以下ヤフー知恵袋「
明治天皇崩御を報じたロンドン・タイムズについての第二質問 」引用)。
明治天皇崩御を報じたロンドン・タイムズについての第二質問です。手塚富雄の『一青年の思想の歩み』第一部の「日本は下り坂になったか」に、「明治天皇のときはその長い諒闇を象徴して、各新聞紙は一年間重い黒枠でかこまれていた。/そのころ、少年雑誌などにも、ロンドン・タイムズ紙がその社説で、『明治天皇によって興った日本は、いまこの天皇崩御を境目として下り坂に向うであろう』と述べたということがつたえられた。心配な気持はありながら、外国からそう言われたとなると、『何を!』と思わないわけにはいかなかった」とあります(※全集第八巻12頁)。

質問者の知りたいことは、上記の「そのころ、少年雑誌などにも」とある「少年雑誌など」の具体的な誌名や内容などが分かれば教えて頂きたいのです。あるいはそれに触れているブログ・文献を教えて頂ければ幸いです。

そして、「この天皇崩御を境目として下り坂に向うであろう」という予想について、手塚は「何を!」と反発するとともに其の「予言を、事実によってくつがえしたい」と思ったこと等を記していますが、他に其の予言に触れている資料を教えて下さい。

小泉元首相の「人生いろいろ、坂もいろいろ、坂にも『まさか』というサカもある」ではないですが、此のタイムズの「下り坂」予言にヒントを得て栄枯盛衰を「坂」で例えた例を、(質問者は)司馬遼太郎の『坂の上の雲』(しばしば引用される)第一巻あとがきの「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいている・・・」)にも感じるのですが、それは「牽強付会」というものでしょうかねえ。まったく証拠無しにいうことですから、御意見を伺いたくて。

なお「明治天皇崩御を報じたロンドン・タイムズについての第一質問」に関しては、手塚の云うように「一年間重い黒枠でかこまれていた」のではなくて、「国内新聞は、九月十七日まで全頁を黒枠でかこんで」(吉原政巳『維新史談』の孫引き)いたという記述を見付けましたが、其の確認はまだしていません。
質問日時:2014/3/1 15:33:07

〔補足〕
吉原政巳『維新史談』からの孫引きは、2月28日付の弊「第472回さいたま三愛病院糾弾ブログ」に転載させて頂いています。国会図書館のデジタル化資料には、吉原政巳としては五・一五事件に関する2冊があるだけです。
補足日時:2014/3/1 16:26:07
ー(以上ヤフー知恵袋引用)(※赤色表記の「坂もいろいろ」は当欄に転載するシンデレラタイムに追加したものです)。

(「にも棒にも掛からない問題病院」に数多くヒットするように)、「さいたま市桜区田島の三愛病院の口コミ・評判・悪評・恨み節・愚痴」という言葉を入力して、「
三愛病院の医療姿勢を改善させる会 」のブログにリンクを貼っておきます。此の記事の「医療過誤死亡事故」の反省がまったく生かされずに(むしろそれよりもずっとヒドイ形で)、私のオフクロは胃カメラ検査直後に急死させられ、院長は説明を一切行なうことなく机を叩いて(あまりの突然の急死に呆然としている)遺族を恫喝したのでした。嗚呼(※今日は「愚痴」を追加)。

テナ訳で今日は、手塚富雄の『一青年の思想の歩み』第一部の「日本は下り坂になったか」の章をきっかけにしたヤフー知恵袋「明治天皇崩御を報じたロンドン・タイムズについての第二質問」をコピペしました。此の『一青年の思想の歩み』は初め要書房から出て、のち河出書房版→講談社版→全集と収録されるのですが、今日も触れた「各新聞紙は一年間重い黒枠でかこまれていた」の誤記は誤りの儘、各版に受け継がれています(※編集者の怠慢)。まあ、「名著」扱いでの重版ですから、初版の要書房の編集者のチェック漏れが其の儘継承された訳です。年譜によれば、大正十五年(一九二六)に旧制松本高校の教授になって17年間の同校教授ですが、奥さんとの思い出を語った『手塚キクの生涯の一面』(全集最終8巻末尾に収録)に、「ひどい貧乏で苦しみました」(松本)、「二度目の窮乏生活に陥りました」(昭和18年東京・東大助教授に降格)なんて文章があり(今の私の貧乏を自ら省みて身にしみますが)、「その後、世の中もしだいに落着いて来、小生にも翻訳の収入などが多少あって、人並みの生活ができるようになった」とあるのを見て、17年間の旧制松本高校教授時代の手塚先生でも「ひどい貧乏」という状態だったのだなあと(回想記には理由が書いてあってうなづけるのですが)旧制高校の教授でも貧乏だったのかと意外に思いました。其処のところを引用してオヒラキにさせて頂きます。-Q始ー両人の生活の最初のころはひどい貧乏で苦しみました。田舎にいる小生の老父への送金、小生の学資借財の定期的返済、それに小生が加入していた同人雑誌への同人費で、多くない月給は天引き同様半分以下になってしまい、月末ごろには一文無しの日を送ったことも度々でした。いまも覚えていますが、引越しをしたとき新規の米屋が現金払いを要求したのに応じられず、運んできた米を持って帰られたことがあります。(※全集第8巻412頁)ーQ終ー今のところ私は三度の飯はカツカツ食えていますが、(例の一時NHKがさかんに太鼓をたたいていたサーチュイン遺伝子の話で)もうソロソロ3食食うのは無理なようで、ナラバ、一食くらい抜くのもテだなあと思っています(※弁護士は生活保護を受けたら法テラスの返済も猶予されるとのことで心動かされるのですが・・・)。也

平成26年03月02日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)