第422回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・呉越春秋の「嘗胆不苦甘如飴」の読み下しについてヤフー知恵袋に質問(補足まで)したのに無回答でトホホの巻

ー(以下ヤフー知恵袋欄 引用)。
呉越春秋の「嘗胆不苦甘如飴」の読み下しについての質問です。質問者には「嘗胆、苦がからず甘きこと飴の如し」と読めるのですが、それでいいのでしょうか?。なお割注の「旧経所引皆作未若飴」の読み下しも教えて。

12月11日付の弊「第399回さいたま三愛病院糾弾ブログ」(http://plaza.rakuten.co.jp/hinjanokaku/diary/201312110000/ )に該当頁を画像として添付してありますので教えて下さい。

質問者の不審は、もし「嘗胆、苦がからず甘きこと飴の如し」ならば,「自分の身を苦しめる」ことにはならないので我慢する必要もなくなって、成語「臥薪嘗胆」にこれまで持って来たイメージとずいぶん違ってしまうので斯く質問する次第です。
〔補足〕
「未若」では「未だ~に若(し)かず」と普通は読むのでしょうが、下に動詞があるのなら分かるのですが、ナニシロ下にあるのが「飴」ですからねえ、まあ「不苦」が「未若」であるのは形からしてあり得ると思うのですが、サテどう読むかが問題なのです。
質問日時:2013/12/30 20:12:12
閲覧数:14
残り時間:4日間
補足日時: 2013/12/31 12:42:21
ー(以上ヤフー知恵袋引用)。

なおヤフー知恵袋欄に「若いという字は苦しい字に似てるわ 」という歌詞の歌を尋ねた質問があって、其の回答に、作曲は「しょこたんの父親」というのがありました。ウィキペディアの「中川昭子」の項目を見ると、5年前だかに「15億PV」を越えたとのことで、現在ではどうなっているのか、此の69翁にはまさに天文学的数字で「どうなっちゃっているの?」テいう感じです。

2日夜になってから、(新春特集・5時間一挙放映の)隆慶一郎 の『影武者』があって、(久し振りに隆の映像作品を見て)今日の話題が「似た字」なものですから余計面白く感じました。(関が原の合戦で本物の家康が死んで以後の家康は「ニセモノ」という)原作のアイディアは明治(?)に出版されたもので、隆の小説が出た時、私も其の「原作」といわれていたものも読んだ記憶があります。また隆の作品は全集本で読んだのではなく、1冊1冊、出るたびに読んで(確か)出た単行本は全部読んだ筈です。加えるに、都立戸山高校の先輩だと何かで知って、亡くなった後で(確か同級生かがまとめた)自費出版の追悼集を送って貰って、何度目かの本の整理をした時、(ある公的図書館に)貰って貰ったことがあります(※ちょっと見には著作権上では問題になるのかもと思われたのですが、同級生のやったことというので表面化しなかったように覚えています)。

そういえば、ある書評で、「驚天動地」という言葉をもっとも多く使ったのが司馬遼太郎で、二位が隆慶一郎だと書いたことがありましたっけ。まあ、そう断定してもいいほど(其の書評を書いた当時は)読んだという自信があったからで、ムロン今ではそんな恐ろしいことは言えませず、但し、「驚天動地1位・司馬、2位・隆」は訂正せぬともいいだろうとは思っています。

例のテレビ番組、「おはようフェルプス君」で始まって「なおテープは自動的に消滅する」というお決まり冒頭の『スパイ大作戦(Mission Impossible)』でも当人になりすますストーリーはありましたが、此の家康の場合はナニシロ400年前の話で(今放映されている場面でも)側室が4人もいて(其の全員に)「ニセモノ」を納得させるという筋ですが、サテ、原作にそんな場面があったか、此の69翁には記憶がありません。

サテ、呉越春秋の「嘗胆不苦甘如飴」のうちの、本文の「不苦」と割注の「未若」です。まあ、「不と未」、「甘と若」の2組は、よく似た文字で、どちらが本物でどちらが影武者か見分けがつきませんが、困るのは、其の読み方が分からないことです。本文「嘗胆不苦甘如飴」を「嘗胆、苦がからず甘きこと飴の如し」とは一応読めるのですが、サテ、割注の「旧経所引皆作未若飴」の、割注の「未若飴」をどう読むのか、誰か教えて下さらないかなあと思っています。ところで、呉越春秋の割注「旧経所引皆作未若飴」は、「若いという字は苦がいという字に似てるわ」てな感じで注をいれたのでしょうかねえ、マサカ。也

平成26年1月3日00時10分

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(追うに意味ありto三愛)