第423回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・「光明皇后の膿吸いの話が載った修身教科書」についてヤフー知恵袋へ質問してスワ回答が付いたと喜んだのもツカの間ヌカ喜びだった巻

年始特集として、「さいたま三愛病院糾弾ブログ・肉を切らせて」2語でググッタ結果を振り返る企画を立ててスタートさせたのに、(一応1頁目は終わったので=まだ弊欄135~137回についてはタイトルのみを挙げただけで内容検討にまではいっていませんが)2頁目に取り掛かろうと思って、あらたに上記の2語でググッタラ、(当たり前のことですが)ナント自分の「年始特集」が上位ヒットして「2頁目」として掲載されていたのが(どういう理由でか)消失していて、しかも検索結果後半は(殆んどが)「右翼的サイト」がヒットするのです。だいたい今でも(手書きの場合)「旧仮名遣い・正漢字」というのは右翼的と云われてもしようがなく、(若い頃)本省に行くのに(骨折ということがあったからですが)和服で出かけて、そうとられたこともあるので、まあそれでもいいけれど、でも若い時から、(其の時々の)「今の時代の右翼」と見られのは勘弁して欲しい気持ちがあります。

今日はタイトルの如く、一旦、ヤフー知恵袋に回答が付いたので喜んだが、折角頂いた回答がそっけないものだったので「ヌカ喜び」だったというトホホの報告です。

ー(以下ヤフー知恵袋 引用)。
光明皇后の「垢すり・膿吸い」の話についての質問です。林陸朗の人物叢書『光明皇后』に「皇后の逸話として戦前の小学校の修身教科書にとりあげられていた」とありますのに、残念ながらネット検索でヒットしません。

講談社の日本教科書大系・近代編・第一巻~第三巻の「修身(一)~(三)」をざっと(流し読みで)読んでみたのですが、どうも其処には載っていないようなのです。どの修身教科書に載っていたのか教えて下さい。

上記叢書(従って修身教科書)には、同じ「光明」という名前のある「後光明天皇」は何度も出てきて、其の主要「徳目」として、はじめ「勇気」だったのがのちに「克己」にかわっていることなどは見て取れるのですが、光明皇后は(どうも)出てこなかったのです。

弊「さいたま三愛病院糾弾ブログ」で今日の23時59分59秒を過ぎたら、第一期国定修身教科書・高等小学修身教科書第二学年に掲載された、「慈善」の徳目に挙げられている和気廣虫の「なさけの心ふかき人」のくだりを画像添付しておきますので参考にして下さい。なおまた歌川国芳の『木曾街道六十九次之内・赤坂』「光明皇后」についても、早稲田古典籍DBにリンクを貼っておきます。

弊ブログの今日の話題は、(「臥薪嘗胆」から発展して)同じ『呉越春秋』に「舐糞」があり(其のことについては数日前に話題にしたのですが)、今日は『荘子』雑篇にある(少し前の時代に例をとると、痔を舐めてキャデラック5台をせしめた)「舐痔者得車五乗」を話題にしたので、シンデレラタイムが0時をさしたら、日本に於ける光明皇后の「膿吸い」に言及したいと思っているのです。林氏の著書に「修身教科書にとりあげられていた」とあるので(しかもある年代以上の人々には此の「光明皇后の膿吸い」は「常識」といっていいほどのことでしたので)載っていたことは確実だと思うのですが、サテ、此の「光明皇后の膿吸い」は何の「徳目」の条に書かれていたのでしょうか、教えて下さい。
質問日時:2013/12/28 22:27:36
残り時間:1日間
閲覧数:30
回答数:1

〔第一回答〕
(1件中1~1件)
itoku888 さん
修身の教科書と言っても色々な時代のいろいろな版がありますから。
回答日時:2014/1/3 14:48:32

〔第一回答を頂いての補足〕
折角、回答を頂いたのですがドンピシャリではないので引き続き回答をお願いします。原質問にあるように、日本教科書大系だけでも「修身」に限っても3冊もあるのですから、しかも常識といっていいほど普及していた「光明皇后の膿吸い」なのですから、教科書に載っている筈なのですがねえ・・・。
補足日時:2014/1/3 22:00:04
ー(以上ヤフー知恵袋引用)。

今夜ヤフーを訪問したら、「回答が付きました」との表示があって、スワ回答が付いたと喜んだのも「ツカの間」、itoku888さんからの回答は私も承知していることで、だからこそ「原質問」に於いて、日本教科書大系だけでも「修身」に限っても3冊もあることをいっておいたのです。でもねitoku888さんの回答を頂いたことでいいこともあって、きちんと、其の3冊を読んでみようと思ってネット検索をしたら、(普段使っているのは県立浦和図書館の参考図書なのですが=従って「禁帯出」)市立図書館も埼玉大学の図書館も所蔵していて、どちらも貸し出し可能図書でした。

テナ訳で、今日は「束の間」のヌカ喜びの巻でした。実は、(例の)『塵劫記』の書名になったという(「塵劫来事、絲毫も隔てずの句に本づく」の単位)「絲・毫」、ついでに「束」にも触れたくて、しかも(中国及びそれを写した日本の)古い辞書には「毫」は「長毛」とあって、何故、「短い毛」を小さい単位の「文字」としなかったのかと思ったことがあるものですから、そんなことも、ヤフーに聞いてみたいなあと思ったことがあります、と去年を振り返ってオヒラキです。そういえば、400年間まだ確定していないという『塵劫記』書名の典拠について、(一見オチャラケテいる)私の「原典を読まないでの大胆予測」もケリをつけなくてはと思ってはいるのですがねえ・・・。特に「2大候補」は挙げておきましたが、(確か)もう一つの候補を加えて「(読まずに挙げる)3大候補」にしたいと思いつつまだ行動を起こしていないのを残念に思っています。それは、大学生にチョット毛が生えた程度で解ける問題だと(軽く)思っているのですが。ムロンこれは、私自身がまだ「大学生に毛が生えてさえいない」ということでもあって、まさにトホホなのですが。也

平成26年1月4日00時10分
※同日0時16分追記=ヤフー知恵袋へのリンクが間違っていまして、それを訂正するのに手間取りました。今の今まで入力していたのに、アメブロにたどり着こうとしても「このページは表示できません」とされて打つ手がなく、仕方なく、旧機でナントカ訂正しました。もっとも旧機は「コピペ」が出来ず、結局、またもとの機械に戻って訂正した次第です。

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