第409回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・歎異抄を昭和新纂国譯大蔵経で「たんいしょう」と読んでいることについてヤフー知恵袋にオズオズ質問した巻

今日は、12月8日にヤフー知恵袋に投稿した「歎異抄の読みについての質問」を回答を含めてコピペしてオヒラキです。

ー(以下ヤフー知恵袋 引用)。
歎異抄の読みについての質問です。『昭和新纂国譯大蔵経』第四巻所収の歎異抄には「たんいせう」とルビがふってあります。つまり、私たちがいま普通に読んでいる「たんにせう」ではないのですが、其のことについて書
かれている資料を教えて下さい。

また質問者は(当ヤフー知恵袋欄の)別の質問で、坂本龍馬の読みについても聞くことにしていますので(それはそれで)お答え頂きたいのですが、『歎異抄』の読みが「たんにしょう」に定着するまでの歴史を教えて下さい。

此の「たんいしょう」という読みが専門外や児童向けのような本に書かれているのならそれほどでもないのですが、ナニシロ、(江戸時代や明治時代の本ならばトモカク)読みが定着したと思われる昭和5年の、それも「専門書」といっていい『昭和新纂国譯大蔵経』にそうルビがふられているので、其の理由が知りたいのです。
質問日時:2013/12/8 08:51:02
残り時間:2日間
投票開始:2013/12/16 03:48:54
投票数:0
閲覧数:61
回答数:2

〔回答〕
(2件中1~2件)
〔第二回答〕
no7cleopatra さん
国語学でいうと、これは「連声(れんじょう)」に該当します。
連声(れんじょう)とは前の音節の末尾の音が、後の音節の頭母音(または半母音+母音)に影響して、後の音節が変化することである。もっと具体的に言うなら、前の音節が「ン」または「チ」「ツ」である時、後の音節がア行・ヤ行・ワ行であるなら、後の音節はナ行・マ行・タ行の音に変化する。
次に例をあげる。
観音 かん+おん→かんのん
天皇 てん+わう→てんのう
銀杏 ぎん+あん→ぎんなん
安穏 あん+をん→あんのん
因縁 いん+ゑん→いんねん
輪廻 りん+ゑ →りんね
雪隠 せつ+いん→せっちん
屈惑 くつ+わく→くったく
反応 はん+おう→はんのう
「元和」は「げんな」と読む。つまり「げん」+「わ」→「げんな」である。
京都の寺の仁和寺は「にんなじ」と読む。これも「にん」+「わ」→「にんな」である。
親鸞の言行録である「歎異抄」(たんにしょう)は「たん」+「ゐ」→「たんに」である。以上です
回答日時:2013/12/14 11:45:21

〔第一回答〕
p93aq さん
これについては「タンイショウ」が正しいと思いますが、「タンニショウ」でも間違いではないと理解すべき問題だと思います。タンイショウを何度も発音しているとタンニショウとしか発音できませんよね。要するに転訛という問題だと思います。今思い浮かびませんが、他にも例があります。
回答日時:2013/12/8 11:54:03
ー(以上ヤフー知恵袋引用)。

私の質問は「たんしょう」と読む法則について質問したのではなく、何故、読みが定着したと思われる昭和初期に出た昭和新纂国譯大蔵経に「たんしょう」と態々ルビが振ってあるかを聞いたのでした(※質問にあるようにルビは旧仮名で「たんいせう」)。せっかく「no7cleopatraさん」が「連声」を教えてくださったので、ついでに「連声 」にリンクを貼っておきます。つまりね、どの辞典類にも(恐らく)「たんしょう」とルビがふられるようになっていた(だろう)昭和初年に、何故、此の昭和新纂国譯大蔵経(だけ)が「」とよんだか知りたいのです。其の答の一つとしては、うちの宗派は(あるいはプロ=僧侶は皆)「」と読んでいるというのもあり得るかも知れない、其のへんのことが全く分からないから聞いてみようと、ヤフーに投稿した訳なのです。残念ながら、ドンピシャの回答は貰えていませんが。(※忘れなければ、望月佛教大辞典等をのぞいて報告します=最近のは全部「」に違いないでしょうから)也

平成25年12月21日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)