第410回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・ 呉越の死闘史に「嘗胆」ではなく「嘗糞」があって艱難辛苦の度合は「嘗糞」の方がより辛いと思われるのになあの巻

今日は、態々調べに行った埼玉大学図書館がお休みで(23日まで連続してオヤスミでトホホなのですが)、(単に)借りていた3冊をブックポストに投函しただけで帰って来ました。従って今日は、(お愛想なしですが)画像1に『呉越春秋』の「嘗糞」があるくだり(「句踐入臣外伝」)と、画像2に『大漢和辞典』の「嘗胆」と「嘗糞」の項目を(1枚の紙に切り張りしたのを)添付してオヒラキです。大漢和の「嘗糞」項目の「二」に、「甚しく人におもねりへつらう喩。越王句踐が呉王の糞を嘗めて、病の癒ゆるを予言した故事」とあります。

今日の「嘗糞」に言及する時に利用させて貰おうと思って、少し前に、ヤフー知恵袋欄に「嘗胆不苦甘如飴」の読み下しを質問したいと思っていたのですが、自分の「my質問欄」を見渡しても見当たらず、どうも(回答を貰えなかったので)削除されたか、ソモソモ、(ヤフーへ質問しようと思っただけで)実際には質問しなかったのかも知れません(※其のへんがアヤフヤなのでヤキが回ったなあとも思うし家人はむかしから変らないと云うのですが)。聞きたかったのは、上記の「読み下し文を教えて下さい」というもので、「割注」に「事類賦反越旧経所引皆作未若飴」とあることも付記しておきたいのです。まあ普通の読み方では、「嘗胆、苦がからず甘きこと飴の如し」とでもなるのでしょうが、それならば「艱難辛苦」とはいえないだろうので、弊欄「12月11日付の第399回さいたま三愛病院糾弾ブログ 」の末尾でも触れたことなのですが・・・。同日の弊欄に『呉越春秋』の「嘗胆不苦甘如飴」の画像が添付されていますので参考にして下さい(※なおそれは埼大の「国学基本叢書四百種」(台湾商務印書館)の『呉越春秋』171頁なのですが国会図書館デジタル化資料・『増訂・漢魏叢書』「別史第21冊・第97コマ/全114コマ」と記載がありました。また高島俊男氏が「蓼で云々」というところは『呉越春秋』169頁で「別史第21冊・第95コマ/全114コマ」とメモがありますし、今日の画像1「嘗糞」のくだりは155頁ですので上記の二つの所在地から推測して「嘗糞」のくだりを見付けて下さい→時間があったのでチェックしたら、国会図書館デジタル化資料・第88コマ /全114コマにありましたのでリンクを貼っておきます)。

テナ訳で、普通、艱難辛苦して復讐を果たす為に身を苦しめることを「臥薪嘗胆」といいますが、「嘗胆」よりも「嘗糞」の方がはるかに辛いことで、そういう意味では、「臥薪嘗胆」よりも「臥薪嘗糞」の方が辛い度合もはるかに大きくていいように思います。でも「臥薪嘗糞」なら、ナニシロものがものだけに口にするだにきたなくて、まあ、「人口に膾炙する言葉」にはならないでしょうねえ。ああそうだ、うちの方法に惚れて下さった名物町長さんがおられて(例えば火葬場の開所式に自分で「第一号」として実際に「焼き台」に乗って中に入ったということを聞きましたが)(どの程度本当のことか、台に乗るまでは考えられるとしても、どこまで本当はやったのかを聞いたことはありませんが)、何かの挨拶で自分の健康法として毎朝(自分の)「お小水」を飲むということを聞いた記憶があって、(トテモ自分では出来ないので)ヘーと驚いたことがあります。でも、其の町長さんだって、(「飲小水」はしても)「嘗糞」はなさらなかったと思います。ああそうだ、国際会議でワシントンに行った時、会長先生が具合が悪くなって救急車を頼んだ時、病院で看護婦さんに「urineを頂戴」と云われて、(当時哲学堂に住んでいて近くに泌尿器科を看板に英語〔Urology〕を併記して掲げている医者があって)容易に理解出来たことがありました。結局、30~40人(or50人?)のツアーだったのですが、私ら二人(2人ともツアーの中心メンバーだったのですが)以後の同行を諦めて帰国したことでした。今日も女房と他出したのですが、どうしても、女房に控訴審に証人として出廷して欲しいとはいえませんでした。控訴理由書の提出期限が明後日なのですがねえ、あの三愛病院での(信じられないような)「恐ろしいこと」を追体験させるのが、申し訳なさ過ぎて言い出せないのです・・・。也

平成25年12月22日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)