第414回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・「十八史略なんぞをまじめな顔して引いてある辞書や本などは無知なる者のこしらえたシロモノ」とノタマウ高島俊男先生に賛意を表する巻

detao6700さんからの回答の最後に、「ところで現在の中国では本当に『十八史略』は文献としては忘れ去られているようですね。/まったく出典としての記載がありません。」とありましたが、最近(昨日の弊欄でも触れたように)どなたか教授(?)のブログに同じことが書かれているのを見て「ヘーッそうなんだ(高島氏の云うことが本当なんだ)」と思ったことでした。高島俊男氏は其の(十八史略が中国では忘れ去られている)ことを、「文化輸入国の悲哀」で(四庫全書の存目の内容紹介に)ーQ始ー「蓋郷塾課蒙之本」(田舎の塾の初級テキストだろう)と言ってある。/十八史略が日本に入ってきたのは室町時代の後期ごろらしい。江戸時代になってから日本刊本が数多く出、明治になっていっそうひろくおこなわれた。つまり本家のほうでほろびてしまってから、こちらで流行したわけだ。-Q終ーと述べています。

と此処まで引用して来て、今日のタイトルを「孫引きのいましめ」とすることにして、高島氏の本『お言葉ですが・・・3』(文庫版133~134頁)をもう少し続けさせて下さい。

ーQ始ー日本は昔から文化の輸入国で、外国から入ってきた書物をたいへんにありがたがる。書物といってもいろいろで、本国ではおのずから格があり評価があって、一流の古典と三流以下の俗本とが同列にあつかわれるようなことはないのだが、輸入国ではそれがわからないことがある。/。
十八史略のばあい、江戸時代にはそれでも初心者用のものだというぐらいのことはわかっていたのだが、明治以後漢文教科書に多く採用されると、左伝や史記のようなスーパークラスの古典籍との区別がわからなくなってしまった。みな同じように漢字ばかりが並んでいるから、同じように畏敬の念をいだいたものらしい。今でもかなりの知識人の、十八史略を一流の歴史書と思いこんでいるらしい文章にお目にかかることがある。/
これが自分の国のものなら、古事記や日本書紀は典拠になるが昭和になってからだれかが書いた『日本神話のおはなし』の類は典拠にならないことくらいはだれでもわかるのだが、外国のものとなるとそれがわからない。一流と目される辞典が史記と十八史略とをならべて引く、というようなことがおこるのである。/
まあ、十八史略なんぞをまじめな顔して引いてある辞書や本などは、無知なる者のこしらえたシロモノと踏み倒して大過ない、と思ってください。/ーQ終ー

テナ具合なのですが、此の引用文の最後、「十八史略なんぞをまじめな顔して引いてある辞書や本などは、無知なる者のこしらえたシロモノと踏み倒して大過ない、と思ってください」で思い出したことがあって、それを今日は述べようという訳です。それは、例のクラーク先生の「少年よ大志を抱け!」のことです。(此のことは既に述べたことがあるかも知れませんが)高校時代、国語のS先生に(高島氏と)同じようなことを云われてショックを受けたことがあるのです。S先生は、教訓じみた話に世間でよく「ボーイズ ビー アンビシャス」を引用されて云われるが、あのクラークがやみくもに「大志を抱け」だけを云うと思うか? あの言葉のあとには「for what a man ought to be」(人間がそうあるべきことのために)「大志を抱け」と云っているのだ。其処から考えられる二つのこと(※もう一つあったかも知れませんが私は「二つ」と覚えていますが)、其の二つが(50年以上もたった今では)もう一々の一つずつに別けられなくなっていて、今では漠然とした「大きな一つ」になっています。其の私のうちなる「大きな一つ」は、具体的には、先ず、「原文」を確かめろ、ということです。(小さなことですが)最近の例で言うと、高島氏の「しっかりせんかい日本の辞書」です。氏は(「呉越春秋にあると誤り伝えられて来た『幽霊の10字』は)「幽霊は日本で湧いて出た疑いが濃くなってきた」と云うが、本当かどうか、ちょっとためしに(中国語が分からないのに)、全40冊の大辞書『中文大辞典』の「臥薪嘗胆」をのぞいてみたら、ナント、本場中国の辞典なのに、氏が嘲っている「幽霊の10字」があるじゃありませんか!?

これって変じゃないか、と思って(本場の)漫画チックな本をのぞいても、其処に「幽霊の10字」を見付けたのでした。吉川幸次郎の「三尺下がって師の影を踏まず」でも、きちんと一々指で押さえながら確認してみたら、幸次郎先生がいう『実語教』には其の言葉はなく、同じ寺子屋の教科書『童子教』にあって、しかも、「三尺」ではなく「七尺」の形で入っているのです(※両書は合綴されているのが多いので目くじらたてるべきことではないのは承知です。しかも講演ですしネ)。ああそうだ昔、早稲田に文献堂書店という古本屋があって、其の店の包装紙に「クラーク博士のBoys,be ambitious!」が印刷されていて(ひょっとしたらもう此の欄で触れたことがあるかも知れませんが)うちにも1枚くらいは残っているでしょうが、そうだ此のことをヤフーに聞いてみましょう。という訳で、今日はオヒラキです。

要するにS先生は、クラークの「大志を抱け」を引いて教訓話をする人は、其の「大志」のあとに続く大切な「目的」が抜けて(抜かせて)、やみくもに「大志」を強調する姿勢の問題。また、そういう人が多い、日本の今の問題(※先生は左寄りでした)。(そして何よりも、原文の意味を考えずに不勉強で安易に名言を引用する姿勢の問題で)私が直接に受けた教訓は、「原文確認」ということでした。ムロンそんなことは一々出来ることではありませんが、しかし、此の高校時代の「教訓」は長く私を律したもので(ムロン不十分でしょうが)其の「不十分さ」の端的な証拠が、ナント今回の裁判(一審敗訴)だったのですから、本当にトホホなのです。そこで大切な教訓を一つ、(但し高島先生直伝でちょっと私流のオチョクリを入れて)「まあ、クラークの大志を抱けなんぞをまじめな顔してノーテンキに引いてある人は、無知なる者・・・と踏み倒して大過ないと思って下さい」と。也

平成25年12月26日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)