第408回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」10字の謎に回答を貰って新しい「サイト」を知った嬉しさにゾクゾクの巻

いやー、聞いてみるもんですねえ、アクセスも少なく回答も無かった(orある筈の無い)「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」についての質問に、北風と共に回答がふって来ました(※今日「初雪」の天気予報だったものですから、前もってタイトルを「初雪と共に僥倖がふって来た」と予定していたのですが、初雪も降らず回答も僥倖といえる程ではないので上記の如くにしました)。今日は、其の質問と回答をコピペしてオヒラキです。どうか、「文字数制限」にひっかかりませんように・・・。

ー(以下
ヤフー知恵袋 引用)。
呉越春秋にあるという「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」の典拠についての質問です。此の10字について、殆んどの日本の辞書に(本当は呉越春秋には載っていないのに其処に)載っていると記述されていることに、高島俊男氏が
『お言葉ですが・・・3』で「しっかりせんかい日本の辞書」と態々銘打って叱っておいでなのですが、此の数日の弊「さいたま三愛病院糾弾ブログ」で、実は日本の辞書だけでなく、本場中国の大辞書『中文大辭典』の「臥薪嘗膽」の項目のトップの引用として『呉越春秋』の「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」10字が記述されていることを指摘しました。また、上海人民美術出版社の『中国成語故事』の「臥薪嘗膽」の項目にも其のトップに「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」の10字が引用されているらしいことをも指摘しておきました(※訳書しか見ていませんので確かなことは言えないのですが、「越ノ勾踐、薪ニ臥シ、胆ヲ嘗メテ呉ニ報イント欲ス」とほぼ「直訳」のようなので、質問者としては「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」の10字が原書にあるのだと確信しています=本場の資料の両方とも、画像として添付してあります)。

つまり「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」は呉越春秋に載っていないのにあたかも載っているかのように記述しているので、高島氏は「幽霊」とよび「ヘンテコリンな文章」とオチョクッテいるのですが、上述の如く、本場中国の大辞書『中文大辭典』にもまた(恐らく)『中国成語故事』にも「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」が載っているので、先ず高島氏自身に反省を求めて(日本の辞書ばかり叱らずに)本場中国の辞書も叱ってよ、と(ちょっとオチョクリながら)切り返して叱っておいた次第です。

其の累が高島氏らが絶賛する周生春『呉越春秋輯校彙考』にも及んで、氏は同書に「無論『越勾践臥薪嘗胆欲報呉』なんてヘンテコリンな文章はどこにもない」と断定すればするほど、(呉越春秋の)「通行本本文はもとより古籍に引用された異文佚文をことごとく集録した労作」というのがウソになってしまうことを指摘してこれまたオチョクッテ、氏がノーテンキに「幽霊は日本で湧いて出た疑いが濃くなってきた」という意見に疑問符を付しておいた次第です(※まさに著者・周生春氏にはトバッチリで、でも本場の大辞書『中文大辭典』に引用されている「10字」なのですから載っていて不思議でない)。

氏はまた『漢語大詞典』の「臥薪嘗胆」の項に「臥薪のことは出所不明」とあるのを引いていますが(ということは当質問にはナカナカ回答が得られにくいということでしょうが)、「集合知」のこういう場で教わることもあるかも知れないと僥倖を期待して「典拠」をお伺いする次第です。
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〔回答〕
(1件中1~1件)
detao6700 さん
「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」の典拠について少し調べてみました。
「臥薪嘗胆」だけならば「十八史略」の中に出てくる言葉の組み合わせになるようです。
臥薪したのが呉王夫差で、嘗胆したのが越王勾践になるようです。
http://manapedia.jp/text/index?text_id=1959 「漢典」の「臥薪嘗胆」を見てみると、
http://www.zdic.net/c/7/10b/289772.htm#cy このページの「引証解釈」の項目に出典がいくつか出ています。
漢代の「史記」や「呉越春秋」には「臥薪嘗胆」の四字成語は出てこないようです。
どちらも越王勾践が嘗胆した故事が書かれています。
さて、この「臥薪」の出所は分からない、とここにも書かれていますが、
宋代には「臥薪嘗胆」の四字成語が出てくるようです。
「十八史略」は元代になります。
その後「臥薪嘗胆」は最後の勝者の越王勾践の故事に使われるようになったみたいです。
「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」の文は、その後の時代に書かれたものなのではないでしょうか。
さきほど百度の「臥薪嘗胆」を読んでみました。
http://baike.baidu.com/subview/35626/6209501.htm 7の歴史考証にかなり詳しく「臥薪」の出所について書かれていますよ。
中国では明代で絶えてしまった「十八史略」については書かれていませんが。
北宋の文学家苏轼の書いた《拟孫権答曹操書》が、どうやら「臥薪嘗胆」を作り上げたのでしょうか。
また《吴越春秋》の《勾践帰国外伝》の本文にのっとった解釈がかなり有力に思えます。
「王帰国后,磨砺身心,日夜操劳。困极之时,“攻之蓼”。
蓼是非常苦的菜,蓼菜多了,就是蓼薪。
勾践困了,就用苦菜刺激眼睛鼻子,打消睡意。
“尝胆”是嘴体味苦滋味,“卧薪”则是“目卧则攻之以蓼薪”,不让眼睛闭上睡觉。
后人把“卧薪”说成是卧倒在柴草上,是《吴越春秋》的誤解,誤伝。」
つまり、勾践は目が臥せると(眠くなると)蓼を集めた「蓼薪」の刺激を利用して眠気をさました。
これが後に「卧薪」と誤伝した、というものです。
いずれにしても元代の「十八史略」のような簡明歴史読本によって、
後代に「臥薪嘗胆」が定着してから書かれた10文字の文章になるのではと思います。
回答日時:2013/12/17 22:45:08
編集日時:2013/12/18 00:33:58
ー(以上ヤフー知恵袋引用)。

頂戴した「detao6700さん」の回答は、だいたい(話題を提供してくれた)高島俊男氏の云うところとほぼ同じなのですが、ご教示によって、全然知らなかった「サイト」を教えて貰ったことで「ゾクゾク」の回答でした(※ネットでブラブラ歩きをすると、時々親切な「サイト」があって、それらの中には利用価値のあるサイトを纏めて提示して下さっているのがあります。便利な世の中になったものだなあと感心しています)。それとともに、「detao6700さん」の回答の引用文と高島俊男氏の言説とを比べて、どこがどう違うのだろうかとちょっと(高島氏の言説に)「ハテナ」を付けたい気持ちがしています(※高島氏の『お言葉ですが・・・3』文庫版120~137頁の連載3回分と「detao6700さん」がリンクを貼った引用文とを併記したい気持ちです)。私の中国史理解の基礎は、中学の先生に習った唱え言葉・「殷周秦漢三国晋隋唐宋元明清国」(「国(コク)」は「中華民国」の略と先生が教えてくれました)程度なものですから、かなり大雑把なのですが、其の「宋元」あたりの時に「臥薪嘗胆」が出来たと仰せで、高島氏は「幽霊は日本で湧いた疑いが濃くなってきた」とノーテンキに断定していますが、(私が引用した本場中国の『中文大辭典』に高島氏が「幽霊」とよぶ「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」が載っているのですから)(しかもマンガチックな上海本にまで此の10字はソックリ其の儘出ているようなので)高島氏の断定は早いと思っているのです。でもまあ、やはり、そんなに簡単には「幽霊」は見付かりそうもありませんね。専門家の高島氏でさえ、「幽霊は日本で湧いた疑いが濃くなってきた」というほどなのですから。でも諦めきれないのは今の「科学技術の発展」で、ネットで「ドンピシャリ」のものがうまく拾い出せないものでしょうかねえ・・・。ああそうだ、「猪瀬辞職」のニュースで、報道ステーションが報じた石原慎太郎は「僕が引導渡した
んじゃないよ、都の服務規程に仕事に関連するところから金を借りたらクビ云々だから」と云っていましたし、一方、後藤謙次氏曰く「東電病院売却の件は100条委員会で都幹部を呼ぶという話があって、そうしたら石原も関連したかどうかの『パンドラの函』が開くかも云々」ということでした、いろいろあるもんですねえ・・・。也

平成25年12月20日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)