第411回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・「呉越春秋・越勾践臥薪嘗胆欲報呉」の典拠についてのヤフー質問にまたまたdetao6700さんから有り難い回答を頂いて感謝感激の巻

今日のブログは、(実は)3日前に一度コピペ引用したものなのですが、昨日のブログ送信を終えてヤフーの「my知恵袋」を見ていたら、ナント、例の(高島俊男氏云うところの)幽霊「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」10字の典拠について、一旦頂いていた回答をdetao6700さんが2度目か(3度目or4度目?)の追加補正をして下さっていて、アレッ、先日コピペ報告した回答に更に新しい情報を付け加えて下さっているんだ、ナンデフタマルベキ、感謝感激して(再度)質問と回答をコピペ引用させて頂く次第です。

ー(以下
ヤフー知恵袋 引用)。
呉越春秋にあるという「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」の典拠についての質問です。此の10字について、殆んどの日本の辞書に(本当は呉越春秋には載っていないのに其処に)載っていると記述されていることに、高島俊男氏が
『お言葉ですが・・・3』で「しっかりせんかい日本の辞書」と態々銘打って叱っておいでなのですが、此の数日の弊「さいたま三愛病院糾弾ブログ」で、実は日本の辞書だけでなく、本場中国の大辞書『中文大辭典』の「臥薪嘗膽」の項目のトップの引用として『呉越春秋』の「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」10字が記述されていることを指摘しました。また、上海人民美術出版社の『中国成語故事』の「臥薪嘗膽」の項目にも其のトップに「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」の10字が引用されているらしいことをも指摘しておきました(※訳書しか見ていませんので確かなことは言えないのですが、「越ノ勾踐、薪ニ臥シ、胆ヲ嘗メテ呉ニ報イント欲ス」とほぼ「直訳」のようなので、質問者としては「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」の10字が原書にあるのだと確信しています=本場の資料の両方とも、画像として添付してあります)。

つまり「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」は呉越春秋に載っていないのにあたかも載っているかのように記述しているので、高島氏は「幽霊」とよび「ヘンテコリンな文章」とオチョクッテいるのですが、上述の如く、本場中国の大辞書『中文大辭典』にもまた(恐らく)『中国成語故事』にも「越勾踐臥薪嘗膽欲報呉」が載っているので、先ず高島氏自身に反省を求めて(日本の辞書ばかり叱らずに)本場中国の辞書も叱ってよ、と(ちょっとオチョクリながら)切り返して叱っておいた次第です。

其の累が高島氏らが絶賛する周生春『呉越春秋輯校彙考』にも及んで、氏は同書に「無論『越勾践臥薪嘗胆欲報呉』なんてヘンテコリンな文章はどこにもない」と断定すればするほど、(呉越春秋の)「通行本本文はもとより古籍に引用された異文佚文をことごとく集録した労作」というのがウソになってしまうことを指摘してこれまたオチョクッテ、氏がノーテンキに「幽霊は日本で湧いて出た疑いが濃くなってきた」という意見に疑問符を付しておいた次第です(※まさに著者・周生春氏にはトバッチリで、でも本場の大辞書『中文大辭典』に引用されている「10字」なのですから載っていて不思議でない)。

氏はまた『漢語大詞典』の「臥薪嘗胆」の項に「臥薪のことは出所不明」とあるのを引いていますが(ということは当質問にはナカナカ回答が得られにくいということでしょうが)、「集合知」のこういう場で教わることもあるかも知れないと僥倖を期待して「典拠」をお伺いする次第です。
質問日時:2013/12/16 14:26:24
残り時間:15時間

閲覧数:26
回答数:1

〔回答〕
(1件中1~1件)
detao6700 さん
「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」の典拠について少し調べてみました。
「臥薪嘗胆」だけならば「十八史略」の中に出てくる言葉の組み合わせになるようです。
臥薪したのが呉王夫差で、嘗胆したのが越王勾践になるようです。
http://manapedia.jp/text/index?text_id=1959
「漢典」の「臥薪嘗胆」を見てみると、
http://www.zdic.net/c/7/10b/289772.htm#cy
このページの「引証解釈」の項目に出典がいくつか出ています。
漢代の「史記」や「呉越春秋」には「臥薪嘗胆」の四字成語は出てこないようです。
どちらも越王勾践が嘗胆した故事が書かれています。
さて、この「臥薪」の出所は分からない、とここにも書かれていますが、
宋代には「臥薪嘗胆」の四字成語が出てくるようです。
「十八史略」は元代になります。
その後「臥薪嘗胆」は最後の勝者の越王勾践の故事に使われるようになったみたいです。
「越勾践臥薪嘗胆欲報呉」の文は、その後の時代に書かれたものなのではないでしょうか。
さきほど百度の「臥薪嘗胆」を読んでみました。
http://baike.baidu.com/subview/35626/6209501.htm
7の歴史考証にかなり詳しく「臥薪」の出所について書かれていますよ。
中国では明代で絶えてしまった「十八史略」については書かれていませんが。
北宋の文学家苏轼の書いた《拟孫権答曹操書》が、どうやら「臥薪嘗胆」を作り上げたのでしょうか。
また《吴越春秋》の《勾践帰国外伝》の本文にのっとった解釈がかなり有力に思えます。
「王帰国后,磨砺身心,日夜操劳。困极之时,“攻之蓼”。
蓼是非常苦的菜,蓼菜多了,就是蓼薪。
勾践困了,就用苦菜刺激眼睛鼻子,打消睡意。
“尝胆”是嘴体味苦滋味,“卧薪”则是“目卧则攻之以蓼薪”,不让眼睛闭上睡觉。
后人把“卧薪”说成是卧倒在柴草上,是《吴越春秋》的誤解,誤伝。」
つまり、勾践は目が臥せると(眠くなると)蓼を集めた「蓼薪」の刺激を利用して眠気をさました。
これが後に「卧薪」と誤伝した、というものです。
いずれにしても元代の「十八史略」のような簡明歴史読本によって、
後代に「臥薪嘗胆」が定着してから書かれた10文字の文章になるのではと思います。
高岛 俊男氏のブログがあったので読んでみました。
http://blog.sina.com.cn/s/blog_5090001c0100byyt.html
結局のところ「呉越春秋」が出典ではないこの10文字の出所は分らないようですね。
また検索してみるとhinjanokakuさんが書かれているように中国のサイトでも、
この「10文字 呉越春秋」の表記がかなり見受けられます。
最後に、残念ですがやはりこの10文字の典拠は分りかねます。
「十八史略」の「臥薪嘗胆」の文章を簡単にしてしまえばこの10文字になるので、
俗諺の様になった10文字に対して、誤って「呉越春秋」が出典のように記載されるようになったのではないでしょうか。
この誤りをそのまま辞書に記載してしまった人は不勉強としか言わざるを得ないですが。
元代や明代あたりの辞書に載っているのかも知れませんね。
回答日時:2013/12/17 22:45:08
編集日時:2013/12/18 23:36:47
ー(以上ヤフー知恵袋引用)。

以上が、私の原質問とdetao6700さんの回答なのですが、(此のヤフー欄の不思議なところは)質問者は原質問と其の補足の2回しか(同一質問で)書けないのに、回答者は(推測するところでは)どうも何回でも「編集」(つまり追加訂正)が可能なようなのです。今日は、「文字数制限」が心配なので今日はこれでやめますが、此処までを送信したら、(はじめてのチャレンジですが)回答者のdetao6700さんだけに宛てて、回答を御願いすることをやってみようと思います。也

平成25年12月23日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)