第324回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・中公文庫『アメリカとフランスの革命』を読んで松方三郎のトンデモ歴史認識がはっきり分った巻 ー「叱るquizシリーズ5・松方三郎編」其の2

昨日は何の注釈も加えずに松方三郎に登場して貰いましたが、やはり此処は、松方さんに「叱るquizシリーズ」に入って貰って「叱るquizシリーズ5・松方三郎編」にしたく、昨日のを「其の1」にして今日のを「其の2」にします(※今日の「投稿」が終ったら、昨日の分を訂正しておきます)。だって、世界に配信している共同通信の専務理事までやった人なのだから、「フランス革命のニュースがアメリカに届いたのは十年もたってから」テナことを云わせてはいけませんよ。

今日は、(タイトルにした)中公文庫版「世界の歴史21」の『アメリカとフランスの革命』の(五十嵐武士執筆の)第一部プロローグ『ジェファソンの私邸から』及び『フランス革命の衝撃とアメリカ社会の民主化』を紹介してオヒラキです(※ウィキペディアの「トーマス・ジェファーソン 」にリンクを貼っておきますので、上記の中公文庫で五十嵐氏は「ジェファソン」と表記していることも含めて参考にして下さい。※※通称「ニッケル」と呼ばれる5セント硬貨の裏に刻み込まれている建物は、ジェファソンの「モンティチェロ」という私邸だそうです)。


ウィキを読めば、松方が「十年もたってから」というのがトンデモナイ思い違いであることが分ります。そして、松方だけが悪いのならそれでいいいのですが、何よりも情けないのは、私自身が、「ジェファソン」(及び明日言及予定の「トマス・ペイン」)に思い至らなかったことです。トホホ。ジェファソンはフランス革命のさなかにパリに(「アメリカ公使」として)いたし、同書198~199頁に書かれているように、「七月十四日にフランス革命が民衆革命になったときも、ジェファソンは暴徒と呼ばれた民衆の正しさを固く信じ、ラファイエットが人権宣言を起草するのに協力した。ラファイエットらが憲法案を準備するために夕食をはさんで六時間も討論したのは、ジェファソンの滞在先の宿舎でのことであった」とのことです。つまりね、松方は「フランス革命のニュースがアメリカに届いたのは十年もたってから」テナことをノンキに云っていますが、それは松方が世界史を知らないからノーテンキに云っているだけで、アメリカの革命もフランスの革命も両方とも別々に各々独自になされたと思い違いをしているからあんなことを云ってしまったのです。なおヤフーへの質問で引用した「その後九三年一月にルイ十六世が処刑されたことは、フランス革命が無軌道に走ることへの警戒を生み、すでにみたようにワシントン政権は四月に中立宣言を表明した」とあるのは、今日の画像2です(上掲書199頁)。画像1は、其の前の頁(198頁)です。なおパソコンがいよいよ駄目で、断末魔のあがきのように、(命令してないのに)機械が勝手に点滅して私を苦しめます(※ああ、貧乏は厭だなあ)。(今日もし0時丁度に投稿出来たとしたら)それは、何回かの「強制終了(※スイッチを長押しして終らせる方法=なにしろ、クリックしても全然反応しないのですから強制終了させるしかテが無いのです)」を経た挙句の「やっとの投稿成功」です。フーッ。これはもう(昨日言ったように)「一日一題」が限界でしょうね、「今日はジェファソン」、「明日はトマス・ペイン」といったように。也

平成25年9月27日00時10分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)


「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題


「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題