第120回さいたま三愛病院糾弾ブログ/番外編・徳岡孝夫氏の巻頭随筆で思う巻・其の2「貧乏」



昨日に続いて、「新潮45」2013年1月号の徳岡孝夫氏の『巻頭随筆』に誘われてのブログです。画像は昨日のアメブロに添付 しました(※どういう訳だか楽天では「下書き保存」も「画像添付」も出来なくなってアメブロで本文を作成しそれを楽天ブログにコピペ公開しました=楽天ブログには「累計アクセス数」が記録されるので今のところ「基盤ブログ」としている訳です)。今日も、アメブロにしか画像は添付出来ないかも知れません。


昨日の(アメブロ掲出の)画像の3段目に書かれていたのが、3月1日にヤフー知恵袋に質問投稿した「昭和初年のタクシーでの運転手2人制」でした。



今日は、此の徳岡氏の巻頭随筆の2段目に書かれている、「貧乏話」について、ヤフー知恵袋に質問投稿 しました 。今日は、其のコピペでオヒラキです。なお今日の画像は、同氏の(2012年10月号の)巻頭随筆。ナント、(昭和初年で)ごく普通に、人力車とタクシーが共存していた話です(※今の人には、観光地での人力車しか知らないでしょうが、徳岡氏の話は「人力車からタクシーへの変わり目」が書かれています)。


ー(以下ヤフー知恵袋引用始め)。
小林一三の「言行録」についての質問です。徳岡孝夫氏の「新潮45」の巻頭随筆に、昭和初年、(金が無いので)「御飯だけを注文なさるお客さんには、福神漬を二倍に付けてあげなはれ」と指示したと書かれています。

これについて、二つ質問があります。

まず第一の質問は、上記は1929(昭和4)年開業の阪急百貨店8階の大食堂についての「指示」と徳岡氏は仰せですが、小林一三の伝記や言行録に記録されているものでしょうか教えて下さい。

第二の質問は、徳岡氏が云う「御飯だけの客がいたのだ。」に類したことを記録した資料名を教えて頂きたいのです。

例によって、「教えてくれなければ生きていけない」という切羽詰った質問ではなく、自分が運営する「さいたま田島の三愛病院糾弾ブログ」に誘導する(つもりの)「人寄せパンダ役質問」ですが、お答えを頂ければ幸いです。
質問日時:
2013/3/7 00:38:06
ー(以上ヤフー知恵袋引用終り)。


あれほど話題になった栗原平の『一杯のかけそば 』が、ナント、ほぼ四半世紀前のことだったというのですから、年をとった筈です。也


平成25年3月7日01時20分


「二重殺人病院」

さいたま三愛病院を糾弾する

コードネーム0213231

(追うに意味ありto三愛)



「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題