さいたま三愛病院理事長・二重殺人医師・濟陽輝久糾弾ブログ第85回・UM氏仰せの「トンデモ出鱈目病院」はさいたまの三愛病院であるのを検証するシリーズ其の48

UM氏のサイトからの引用で、2006年6月10~11日の2日間は、既に弊欄(去年11月10日と12月5日付の)「さいたま三愛病院理事長・二重殺人医師・濟陽輝久糾弾ブログ」第3回と第28回で(画像と共に)引用していました。但し其の2回とも、(10日付の)『腫瘍マーカーの落とし穴』の追記の上の部分をちょん切ってアップしてしまいましたので、今日は、其の追記部分と、それを読んだ読者のコメントが実際のサイトではどんな風に表示されているのかを紹介しておきます(※画像の枠内第1行目の「追記『出鱈目病院で働く職員』という方から」始まって9行目の「で、書いてきた出鱈目病院の内情について、」まで、がこれまでの弊欄の画像にも抜けていた部分です)。但し、此の 『腫瘍マーカーの落とし穴』は、既にUM氏のサイトからは削除されています。
グーグル検索で「UM氏の名前」と「腫瘍マーカーの落とし穴」の2語で検索すると、第1位で表示されるところは(リンクを貼っておきますが )「もぬけの殻」です。


サテ昨日に続いて、「ノ抜け」の「虱」の話(※直前の「もぬけの殻」も「モ抜け」ですが)。参議院選挙に新党「風の会」を作ったことを山藤章二画伯が「虱の会」とオチョクッタことに端を発した騒動は、野村秋介氏の(朝日新聞社本社社長室での)拳銃自殺という不幸を招いたため、其の絵は、どうも以後「お蔵入り」になっているようです。したがって、浮ついた気持ちでは扱えない件ですが、しかし、山藤画伯には何の責任もないように私には思われ、此処に引用したい気持ちが残っています。/其のことについて、野村秋介氏の『さらば群青ー回想は逆光の中にあり』に触れた箇所がありますので、(コピーがありましたので)三章「『虱』報道をきっかけとして」の冒頭2頁を引用させて頂きます。但し、其の書影の写真は出て来たのですが、本其のものは見えません。どうせ「整理」したのだろうと思います。


其処に、「戦後、アメリカ軍の残飯に手を突っ込んで飯を食った」というくだりがありますが、私は(かなり前から)「残飯喰い」に興味を持っていまして、戦前では陸軍の「残飯」、戦後では(今村昌平の『にっぽん昆虫記』の因業女将でさえ売春婦に食わせなかった)売春宿の「残飯喰い」に特別に興味を持ち続けています(※ナカナカ「証言」は得られないのですが)。ああそうだ、其の『にっぽん昆虫記』のビデオの箱を、今日のオマケ画像として添付しておきます。也


平成25年1月31日06時45分

「二重殺人病院」
さいたま三愛病院を糾弾する
「コードネーム0213231」
(追うに意味あり to 三愛)

「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題


「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題

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