第216回アート引越センター社長への公開抗議・妹告発シリーズ79・山下政三氏のトンデモ本『鴎外森林太郎と脚気紛争』こきおろしの巻(其の廿五)


当欄の昨日からの流れでいうと、鴎外の『金比羅』の中の赤ん坊の呼称「赤さん」に触れるのが一番いいのだろうと思うのですが(ムロン小島憲之氏の著書の着眼点「赤野」を引き合いに出しての「赤さん」で)、氏の著書の冒頭が「第一『赤野』/『航西日記にみる鴎外の”剽窃”/なぜ『赤ちゃん』なのか」なのです(※何故、小島先生が『金比羅』の中の赤ん坊の呼称「赤さん」を使って下さらなかったのかと、ちょっと悔しい思いをしているのです)。=「画像1」を、講談社学術文庫版の冒頭9頁にします。


今日は、小堀杏奴編『妻への手紙』(ちくま文庫)の中から、206~207頁にある鴎外の幼子が死に瀕する場面を「画像2」として引用しておきます=今日は画像アップだけで、明日「文字入力」します。


テナ訳で(いつもの当欄の決まり文句ですが、「これはトンデモ本の著者の「以上」と同じような権能を与えられている言葉で)(それまで何をいっていても「終わり」にしたい時に付ける言葉であまり拘泥しないで下さい)、という訳で、今日のヤフー知恵袋に質問投稿した文章 で、今日はお許し下さい。也


ーー(以下ヤフー知恵袋のコピペ引用です)。--(以下引用始め)。

臨終の判定方法について質問です。夏目漱石の『彼岸過迄』(明治45年)に臨終の場面がありますが、医者は其の判定に瞳孔と肛門の二つを点検し「開いて仕舞つていますから。何うも御気の毒です」と匙を投げました。



しかし(いま67歳の私は)現実には、(瞳孔はともかく)臨終に「肛門」で判定したのを見たことがありません。此の「肛門での判定」は今でも使っているのでしょうか、お伺いします。または、いつ頃まで、此の「瞳孔と肛門」の「臨終判定方法」があったのでしょうか、教えて下さい。

なお『漱石全集第七巻』(190~191頁)では、上記の臨終宣言ののちに、「『辛子湯でも使はして見たら何うですか』と松本は素人料簡で聞いた」とありますが、これは、(今でいう)「ショック療法」なのでしょうか?

笑ってしまうのは(「人の死」を笑ってはいけませんが)、其の「辛子湯場面」で、「医者は熱湯の中に手を入れて、『もう少し注水(うめ)ませう。余り熱いと火傷でもなさると不可(いけ)ませんから』と注意した」ことです。だって、もう死んでいるのなら、火傷もくそもないじゃありませんか。

私のオフクロの「胃カメラ殺人病院」でも同様のことがあって、看護婦が(既に主治医が臨終を告げたあとに)女房に「患者さんは苦しいから早く外してあげたい」と云ったのです(※女房は嫁の立場では決められないから私が来るまで待ってくれと云ったそうです)。

そうだ、「第二質問」ですが、此の看護婦の「患者さんが苦しいから早くはずしてあげたい」というのは生命維持装置のことを云っているのでしょうか、お伺いします。あるいは、(主治医は死んだと云うし)(看護婦は苦しいと云うのですが)看護婦の云うように本当に(生命維持装置は)「患者さんは苦しい」のでしょうか、併せて教えて下さい。

だけど、主治医は臨終を告げて実際に死亡診断書に午前中の死亡時刻を書いていますが、夕方、私が遺体と対面した時には、心電図が規則的にピッピッと(一定のリズムで)あがっているので、(テレビで見る死亡時のグラフはツーと上下せずに水平状に右に動くのですが)(私もよほど動転していたのでしょうね)看護婦に「これ何?」と聞いたら「イヤー」とごまかすのを追求出来ませんでした。トホホの質問です。

質問日時:2012/6/25 19:11:01



平成24年6月25日22時00分



(「物外」ならぬ)方外忘機・

守方外こと

コードネーム021320123

(追うに意味ありtoアート引越センター)
又の名を(イギリス訛りで)today
アート糾弾ひつこしセンター」。





「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題



「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題