第211回アート引越センター社長への公開抗議・妹告発シリーズ74・山下政三氏のトンデモ本『鴎外森林太郎と脚気紛争』こきおろしの巻(其のニ十)


昨日の当欄で引用した白崎昭一郎氏の『森鴎外ーもう一つの実像』あとがきで、「脚気こそは、鴎外の心の深いところに刺さった手痛い棘であった。/だがそれでは、日清・日露の戦争で脚気のために死んだ数万の兵士に申しわけが立たないのではないか」と白崎氏は書いていて、私もまったく同感なのですが、(昨日も書いたように)、其の「結論」がいただけません。彼は(鴎外応援団の)トンデモ本の著者山下政三氏の言を引用して「(鴎外に)『麦飯給与を阻止し脚気流行を支援した』事実はなかったにしても、彼がついに脚気について『まとも』に語らなかった事実こそ、その責任の重さを示しているのではなかろうか。脚気こそは鴎外の最大のアキレス腱であった」と書いています。しかし、(昨日も書いたように)「麦飯給与を阻止し脚気流行を支援した」事実は、トンデモ本著者・山下でさえ認めていることなのです。




数日前(6月17日)の当欄で、早稲田一文の学部長だったFH先生の(私宛の)葉書を(いきおいで)ご披露してしまいましたが、其の時も、用意した画像は伏字が多かったのですが、いま鴎外を話題にしているので、竹盛先生も伏字なしで登場して貰いました(※山崎一穎先輩にも無断で強引に登場願ったのですが)。竹盛先生とは中央図書館の書庫で偶然にお会いした際、私が書いた書評について(私の指摘通りに)機会があったら訂正する旨云われたことがあります。もう(67歳の)此の歳になると、(別に顔を一々確かめている訳ではありませず)(もとから知り合いは少ないのですが)其の少ない知り合いに会ったのは数年間に一度、しかも夏休みで地方にいる(顔と)人でした。



私は其のFH先生の(私宛の)葉書に書いてあったように「稲垣門」つまり稲垣達郎の「早稲田大学における最後の弟子」と(まあ、まわりも否定したい人はいるでしょうが、あいつならしょうがないかと思っていると勝手に思いこんで)称しています。だって、もしそれが違っていても、(山崎さんが云うように)(噂として)「気違い」となっているようですから、誰も文句をいわない(よう)です。


今日は弁護士事務所に行って、イヨイヨ本式に「バトル」をしようという訳です。其処で、今日は画像のみ添付します。帰ってのみ始めて、もう面倒なので、ちょっと、注釈だけを。だけど、随分失礼な話で、いいですか、日露で「脚気惨害」といわれているのに、鴎外は、(軍事郵便の規則を無視して)(脚気惨害を知らぬげに)ノンビリと、妻へ「あの戦争のさい中におかみさんに手紙を出したもんはおそらくおればかしだらう。たいしたものさ」と手紙を出しているのです。これって、ひどくない?



加えるに、ナント、(明治38年4月25日付で)「この頃あま納豆を麦飯にいれてお茶をかけてたべるもんだから人がとんだ脚気のよばうだと云ってわらふよ」と、冗談にして書いているのです。ナンダ此の男は、と私は怒りましたね。上記の引用は鴎外全集36巻から引用しましたが、今風にちくま文庫本の『妻への手紙』からも引用させて貰いました。但し此の鴎外の「冗談」、(白崎氏の「脚気のために死んだ数万の兵士に申し訳が立たないのではないか」の)「数万」の死者に申し訳ないではありませんか。私は、(文豪としてムロン尊敬の念は長く強く持っていたのですが)(脚気の問題で)(しかも同じような国家権力の理不尽な力と闘ってきた私ですからなおさら)許せないのです。也




平成24年6月20日21時30分



(「物外」ならぬ)方外忘機・守方外こと

コードネーム021320123

(追うに意味ありtoアート引越センター)
又の名を(イギリス訛りで)today
アート糾弾ひつこしセンター」。



「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題



「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題



「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題



「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題

(昨日も申し上げたように)余程、本式に、「『乃公出でずんば』と(生意気にも)シャシャリ出ましょうか。トンデモ本の著者だけならフフンといっていればいいのでしょうが、(応援団でもなさそうな)白崎氏までもそう云うのなら、真面目に取り組んでいいと感じました」と、いきおいで書いてしまいました。