死語「避病院」ナンテ言葉を普通に使っていたのですから、「老人」に違いありませんね(第27回アート引越センター社長への公開抗議書)


ヤフー知恵袋に「期限切れ」と表示されたのに投稿したら、「7日間」の「延長」をゲットしました 。投稿文は以下の通りです。(引用始め)「フランス革命 のニュースがアメリカ大陸に届いたのは、十年もたってからのこと」という説についての上記質問は非常に簡単なことだと思っていますのに、回答を頂けませんでした。どうか、お答えを頂けますように。(引用終わり)まあ、こんな阿呆な質問をせずに自分でチェックすればいいのでしょうが、(今春のあの欄を利用した不正入試事件でも試験時間内に回答が寄せられて不正入試が「実行」されたのですから)私だって「其のレスポンス」を自分で試してみたいのです。だけど、「十年もたった」と云っているのが「共同通信の専務理事」までやった人だから、(私は)「ハテナ」とともに「そんな馬鹿な」と思っているのです。地続きだけで移動していた時代ならいざ知らず、コロンブスがアメリカ大陸発見した「1492年」(「石の国」との語呂で覚えましたが)から、ほぼ300年たった話ですからね、「10年間」誰も動かなかったということは有り得ない話だと思っているのです。外交といえば直ぐ「大使館」が思い浮かびますが、此の「大使館制度」は何時ごろから始まったものかとも思っています。少し前まで、(水戸芸術館か国立歴史民族博物館かで買った)「世界史年表」をトイレの壁に貼っておいたのですが、今はとっぱらってないので、それも参考に出来ないでいるのです。ああそうだ、県立図書館の(先日述べた)「教科書コーナー」で世界史の教科書を見るのもテですね。

というのは、当欄で、県立・市立図書館の本を紛失して弁償したことを述べたことがありましたが、其の本が見付かったのです。(アメブロの)画像の右が県立図書館本で坂内正の『鴎外最大の悲劇』(新潮選書)、左が市立図書館本の『Javaの絵本』。紛失本が見付かったので「消印」を押して貰いに行くので、其のついでに、ちょっと年表を見て来ましょう。それに、折角『Javaの絵本』が見付かったので(動機が不純ですが)(弁償したのが)悔しいので、此の際、Javaを(少し本気で)勉強してみますか。但し、まだCSSが書けないのですから、ダイブ、道のりは遠いですけれども。まあ、ブログは「気楽な放言欄」と思っていますので、(のちに本名は出さざるを得ないことになりますからムロン書いたことには責任を持ちますが)今は名無しの権兵衛として「勝手」を書かせて貰っているのです。

今日は、鴨居羊子でヒットした市立図書館の本、『小松左京全集完全版・第33巻・日本を沈めた人/小松左京対談集/性文化を考える』(城西国際大学出版会)。奥付の頁に、「オンデマンド印刷 」について書かれているので、画像として添付しておきます)。肝心の鴨居羊子との対談は合計5頁と三分の一頁の短いもので、とりたてていうことはありません。

それよりも、鯖田豊之氏との対談を読んで、鯖田豊之という人は偉い人だったなあ、とあらためて思い返しています。もう二十年以上も前(ひょっとしたら三十年前?)のことですが、先生がヨーロッパに行かれるとのことで、(私の分野では)「ヨーロッパのどこにいけばいいか」をもったいなくも(面識の無い)若造の私にお尋ねになったことがあるのです。其の時、はかばかしいことをお答え出来なかったとの悔いが私にあって、でも、(ポピュラーな媒体には殆ど書いていない)若造に「直接にお尋ね下さった」其のことに強い感動を覚えていたのです。のちに、先生に直接教えを受けた友人から、いい先生だよ、という言葉を聞いて納得したことでした。


本来なら、同書222頁の先生の発言(以下引用)「十九世紀ごろのパリのような大都会の下層階級の女性というのは、ほとんど売春をやっていたといわれますね。日本の場合はそれほどきつくはないですね。普通の働いている人がそんなことはやらない。それがセックスの文化にどう関係するか、わからないんですけれども、日本だったら、その時分、東京にずいぶん貧民街がありましたけれども、そんなにほとんど全部ということはない」ということについて述べたいのですが、今日は一応、引用だけにしておきます。ただ、「ほとんど」「ほとんど全部」という言葉の「恐ろしさ」について、いずれ語るときもあろうかとだけ言わせておいて下さい。むしろ今日は、(昨日の第三画像の電報で)「ペ ストノタメ』五六ヒオクレル』ルスタノム』□□□」とある「ペスト」についてです。ウチの関係者でペストに罹った者はいませんから(それに罹ったとしたら「5~6日遅れる」どころの騒ぎではなくエライ騒ぎになった筈ですから)ウチには関係ない話だったのでしょうが、同書239頁にもペストの話があって、鯖田先生は「伝染病の国家的届出制は、日本は世界で最初です」と仰っています。

これまで古い質札を画像で添付しましたが、今日は、其の「伝染病の国家的届出制」の象徴ともいうべき「避病院」の領収書です。小滝橋から淀橋のやっちゃ場に行く道の右側に、むかし避病院東京都立豊多摩病院 がありました。正式(法的)には「伝染病院」というのだそうですが、其処に、上の妹が、疫痢か赤痢で入ったことがあるのです。昭和30年の其の当時でも、疫痢・赤痢では大概はごまかして入らなかったと聞いたことがありますが(本当はどうか知りませんが)、ウチのオフクロは真面目なものだから、9日間入院したのです。其の入院費用は1800円、1日分200円という勘定になります。今日はこれで失礼します。 

平成23年12月18日17時09分
「コードネーム・021320123(追うに意味ありtoアート引越センター)」


「追うに意味あり」アート引越センターへん=別題を 「狒狒爺爺 (ひひジジ) の 覆う非位の非々を追う日々 」に改題


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