災害のとき、情報が整然としているに越したことはないが、ある程度の錯綜、遅れはやむを得ない。現場の人は文字通り命懸けであり、「政府への報告最優先」とはいかないのだ。国民としても、被災地から遠く離れた地の茶の間でテレビを見ているだけなら、「早く情報をよこせ」という権利も資格もない。とはいえ、菅が原発事故に関し、公表遅れの理由として、「東電からの報告が遅れていた」と述べたことには賛成しがたい。都合の悪いことは立場の弱い者のせいにするのが菅の性癖。これでは、身を挺して頑張る人の上に立つ資質に疑問符が付く。今後、こうした菅の性癖が徐々に現れてくるのではあるまいか。
地震に火事が伴いやすいことは知っていたし、火事の怖さも意識しないではなかったが、津波の脅威がこれほどとは思わなかった。それに原発。従来、「地震と原発」は大きなテーマとして論じられてきたものの、「あらゆる場合を想定して安全対策を講じているから大丈夫」という話を信じる方が多かった。ところが今回、関係者の口から出た言葉はというと、何と、「想定外でした」というもの。ついでに言うと、あれは治水の話だったか、仕分人レンホーが「100年に一度の災害を想定した対策工事などはムダ」と切り捨てたが、これなど浅慮の見本のようなものである。地震カミナリ火事オヤジと言うが、オヤジより、知ったかぶりのパフォーマンスの方がよほど危険だ。
「菅が外国人から献金を受けていた」と問題になりはじた矢先に東北大地震になった。その対策が最重要事であること言うまでもなく、政治上のアレコレもしばらく棚上げになりそうだ。しかし、ハッキリしておかねばならないこともある。仙谷が官房長官だった当時、「自衛隊は暴力装置」などと発言したが、身を挺して災害対策に当たる隊員に対し、まことに失礼な暴言であって、改めて謝罪を求める。米軍も、災害を含む有事の際に頼りになる存在だ。迷惑がってばかりいるのは間違いであり、とくに民主党は認識を改める必要がある。鳩山流「友愛」論など、イザというとき何の役にも立たないということも、これまた改めて認識しておくことが必要だ。ともあれ、菅政権はいままでの罪滅ぼしのためにも、身を粉にして地震対策に当たって貰いたい。