今回は山梨県甲府市にある東光寺を紹介します寺



住所は〒400-0805 山梨県甲府市東光寺三丁目7-37


電話番号は(055)233-9070


甲府駅から車で10分もかからないです。



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創建は不明ですが、寺伝によると武田家の先祖でもある源義光が保安2(1121)年に国家鎮護と仏法繁盛の祈願所として諸堂を再興し、寺号を興国院としたことから始まるそうです。



その後、荒廃しましたが弘長2(1262)年に蘭渓道隆が再興し寺号も東光寺と改められました。

本堂裏に蘭渓道隆が作庭したと言われている日本庭園(山梨県指定名勝)があり300円で拝観することができます。



戦国時代には武田信玄の保護により再興され京都、鎌倉に倣い、甲府五山の一つに選定され山号を法蓋山、寺号を東光興国禅寺と改めました。



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境内は綺麗に整えられていてすでに拝観料を収めてもおかしくないぐらいです。

奥に見える建物は喫煙所です。

拝観料は日本庭園を見るときに収めるみたいです。自分は時間の関係で見れませんでした。


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(国指定重要文化財の仏殿)


アングル悪い写真でスイマセン!!

桧皮葺のこの立派な仏殿は室町時代に作られたと言われ、織田信長の甲州攻め、空襲を逃れ残っています。



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(本堂)


本堂の左を抜けて墓地の方へ向かうと諏訪頼重のお墓があります。



諏訪氏は代々、諏訪神社上社の大祝(おおほうり)を司る家柄です。

戦国時代、頼重の父、頼隆の頃は南信濃周辺を領有し度々武田信虎と交戦していました。

天文4年(1535)年に戦略的事情で武田家と和議を結び、信虎の三女、禰々と婚姻し同盟しましたが、信虎が信玄によって追放されると同盟は破棄されることになります。



南信濃の領土が欲しかった信玄は、諏訪氏の庶流で諏訪家惣領を狙っていた高遠頼継と手を結び諏訪頼重を挟撃しました。

力攻めで諏訪領を攻略しても後の治政に大きい影響が出ることを考えた信玄は和議と称して頼重を甲府に招き、ここ東光寺に幽閉してしまいます。



頼重は残された妻や子供たち(寅王、諏訪御寮人)、諏訪家のこと様々な事を案じたと思いますが、おそらく信玄に後の事を託し自害しました。



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(諏訪頼重のお墓)


頼重の正室、禰々は兄の信玄のいる甲府に戻り16歳で死去。

息子、寅王はその後行方不明(生存説有り)。

娘の諏訪御寮人(名前不詳)は信玄の側室となり武田勝頼を産みます。



頼重の弟の頼高もここ東光寺で自害させられたの事ですが墓は不明です。

頼重の墓の隣のかな?分かりません。



ちょっと長くなりすぎたので次回に続きます!!


それではここら辺で...ドロン忍者