「むさしの」の範囲はどこからどこまでだろう。
地図に「武蔵野」はない。
東京都武蔵野市は存在するが、それでは書きたいことの大部分が漏れ落ちてしまう。
国木田独歩の『武蔵野』で描かれている一帯が「武蔵野」と説明されることもある。けれど、それは独歩の友人の解釈によるもので、曖昧で客観的ではない。
『広辞苑』第六版には
「関東平野の一部。埼玉県川越以南、東京都府中までの間に広がる地域。
広義には武蔵国全部」と記されている。
第五版では「荒川以南・多摩川以北で、東京都心までの間に拡がる武蔵野台地」
と解説されているから、新版になってより漠然とした表現になった。
同時に、明確な定義はない、と教えてくれる。
下の写真は嵐山渓谷、比企郡嵐山(らんざん)町の景勝地。
嵐山という地名の由来は、
1928(昭和3)年、本多静六林学博士がこの渓谷美を愛でて
京都嵐山に匹敵する武蔵国の嵐山、と叫んだからだとか。
武蔵国の北部に位置する地ではあるけれど、武蔵野台地の外の丘陵地帯だ。
「遊遊むさしの探訪」は、そのあたりをいただこう。
つまり、地理的な範囲に「明確な定義」は持たない。
時に武蔵野台地を、時に武蔵国をフィールドとしながらも、周辺各地にはみ出すことも厭わない。
一応、武蔵野台地と武蔵国の一般的解釈だけおさえておく。
『新座市史』は武蔵野台地を、
「青梅市付近を頂点として扇状に東に広がり、北西を入間川に、北東を荒川に、
西を多摩川によって画された洪積台地」と解説している。
南部が示されていないが、『ブリタニカ百科事典』によれば、
東京湾周辺の山の手地区あたりという。
武蔵国は古代律令時代の行政区分だから、国と国の境界は明解だ。
おおよそ埼玉県と東京都の全部、
それに神奈川県北東部の横浜、川崎あたりまでを加えた領域。
末弟きいろが描く南武線が走るあたりまでが武蔵国ということになる。
武蔵野台地にしても武蔵国にしても、末弟きいろは完全住人。
不肖さんこは武蔵国の住人ではあるが、武蔵野台地からはややはぐれもの。
本日齢を重ねたスミレ姉は物理的にはいずれの住人でもないけれど、
堅苦しい地理的定義などものともせずに時空を自由に飛翔する俳人。
だからテーマも三人三様。

