敗北を知り、花は咲く


敗北の音。


何でこんなにも偶然が重なるのだろうか。

物事の感じ方も、捉え方もストレスの負荷も、トラウマになるきっかけも、経験値も人によって様々。

自分にとっては何気ないことでも人にとっては重く辛いことだったりもする。それは自分も然り、大人になってから苦手になったこと、克服したこと、トラウマになったこと、たくさんのことがあった。

自分にとってトラウマのような古傷は、幼少期からの夢を諦めたこと。自分で決めたことだろうと批判の声を向けたくなるような発言をしている自覚はある。

それでも、自分には自分の理由がある。どんなに自分が望んでも、諦めなければいけない状況がある。

悲しくも、子供の頃の自分には到底理解のできないことを今は理解できるようになった。

誰よりも芝居を愛している自信があったし、演じることにも、台本を覚えることにも、愛嬌にも、マイクワークにも自信があった。何よりも芝居に人生の全てを捧げる覚悟を持って芝居と向き合ってきた。

毎日が芝居でいっぱいで、芝居で息をして過ごしていた。自分にとって夢を諦めることの方が幾倍も辛いと、容易く理解できていたから無我夢中で芝居をやり続けた。


それでも、、それでも 限界を迎えた。


体力、精神面、環境、金銭面、逃げ出すための理由は常にいくらでも揃っていた。それでも我武者羅にやって、何度壁にぶつかろうとも何度だって這い上がろうと心に決めていた。

行きたかった養成所に受かって、中間審査を突破して、最終審査。その最終審査で何年も積み上げた日々は一瞬で壊れていった。

他の劇団に入ったり、地方でお芝居を趣味程度にするのだってできたはずだけど、自分はそこから一年間、舞台から降りた。


初めの頃は息の仕方も普段の過ごし方も全て忘れてしまった空っぽのおもちゃだった。それなのに常に負荷はかかったままで、息をするのが苦しい。TVから流れてくる情報もiPhoneから不意に入ってくる情報もYouTubeですら見るのも音を聞くのも吐き気がしてきて、楽しいや面白いといった感情とは無縁の時間が流れていった。

何も自分に残っているものも感じるものも無い。全て空っぽ。これが虚無というものなんだと、皮肉なことに芝居と向き合っている時には理解しきれなかった感情を芝居を辞めたことで理解できた。

この感情も芝居の引き出しになると、この感情を忘れまいと、無意識に感情のインプットをしている自分に気づいた時は、本当に涙が止まらなかった。この時に初めて泣いたことにも気付いて更に泣いた。1日中泣いた。芝居が大好きだったと、また芝居がしたいと心から思った。それと同時に見えなかった世界も見えるようになった。

夢を完全に諦めきれていないからこそお金を貯めるために再就職した。そんな偶然あるのか?と自分でも思ってしまうが、2社中2社テレビの取材が舞い込み、1年にも満たない自分が出演することを強要された。何だかんだ少しずつ治癒してきた傷口をまた刃物で突き刺されたような感覚で息をするのがやっとだった。酷くテレビ出演というものに抵抗ができてしまっている自分に気持ちが追い付かなかった。しかも男性陣が多い職場だった為、「花が咲く」という理由で推薦され、追い打ちをかけるかのようにセクハラじじい(社長)直々に手を取られ、体を引き寄せられたのが心の底から気分が悪かった。セクハラで訴えてやろうかとも思ったがその後に上司達から謝罪を受けた為、静かにその場を去った。


その次に就職した会社で平穏に過ごしていたかと思えばまたもや取材依頼。会社ってこんなに簡単に出演依頼が来るもんなんだ.....とよくわからない感覚を植え込まれた。

私自身に出演予定は無かったが、当日になって急遽背中だけでもいいからその場に居て欲しいと強要。案の定、前からもカメラを設置され不穏な空気に。

時間の流れがゆっくりで息をするのも苦しくて、眩暈で倒れるんじゃないかと思った。


この1年間で、感じ方も、見るべきものも、自分が背負うものの大きさも常に変化していて、今はそれを背負えるだけの人間になりたいくて、新しく目標も持っていて、こんな過去に負けていちゃいけないと強く思うと同時に、体や気持ちがどうしても追いつけていこないのがもどかしい。

好きだったものが苦手になって、怖くて触れたなくなってしまったものを「また好きになりたい」と思えることは自分にとっては成長で、今はそれが素直に嬉しい。。

今はまだ完全に好きにはなれていなくても、また好きになりたい気持ちは嘘じゃなくて、

私が興味を持った時は、とことん追及して、好きになる努力を徹底してできることを自分で分かっているから、何も心配はいらない。自分を信じている。


それと上司の独り言で「良いものが見れて良かった」という言葉を聞いた時に、「ああ、自分損してるな」って単純に馬鹿らしくなった。

本来ならそう何度も巡り合えることでも、経験できることでもないはずなのに、自分の古傷を理由にむしろチャンスを自ら蔑ろにしていることに気づき損をしている気分になった。猛反省中。


本当に人生は失敗と反省ばかりだけれど、今の自分は24歳で、今この時点で気づけたのは今後の人生においてとても貴重な日で、来るべくして来た日なんだと思う。


本当にまだまだだな。。。

立派な大人とは程遠いけれど、数年後の自分が後悔しないように今日を生きたい。