昨夜

翌朝のゴミ出しの為に
ふたりでゴミをまとめたその後

キッチンの片隅にある大きなゴミ箱に

新しいゴミ袋をセッティングしてくれている
ダンナちゃんの後ろ姿を見ていたら、ふと

いつもこうして 一緒に ゴミをまとめて
片付けてくれる ダンナちゃんがいて

「 幸せ者だな、わたしは。」

と、そう感じた。




何も見えない…のではなく、

何も見たくないということを
何も聞こえない…のではなく、

何も聞きたくないということを

自らの意志で選択している。




2006年の9月のあの日



何も見たくない

何も聴きたくない


そんなコトを選択する余地など、わたしには

微塵も用意されていなかった



何が起ころうとも 何を知ろうとも

兎に角 ただ精一杯 学び続けていく


そうするしかなかった




けれども

 


そうしてきたおかげさまで


なんでもなかった日常が

幾つもの 数えきれない程の 奇跡(軌跡)の上に

成り立っていた、コトを知った



日常の小さなできごとにワクワクし、

たわいもない会話に歓びを感じる、

突然の雨にドラマを感じ、

サンサンと輝く太陽に微笑み返し、

鳥のさえずりで目覚める朝、

さわやかな風がリフレッシュさを与えてくれる、

なんでもない日常がかけがえのない日常へ。







この記事を 読んでいる あなたが もし


肚の底から 湧き起こる 感謝のエナジーを

一度も 体感したことが ないのであれば、それは



何も見えない…のではなく、

何も見たくないということを
何も聞こえない…のではなく、

何も聞きたくないということを

"自らの意志で選択している"。



という"事実"に氣づき(氣づいたとしても)

受け入れて(認めて)いないことが

岩戸(ブロック)となっていらっしゃいます。









生かされ 生きているからこそ!
味わえるんよ、【絶望】さえも。ニコニコ照れ