バルコニーに 毛布を 干して
ひっくり返し おっくり返し しながら
(これ、福島弁やったんやー)

ぽてぽてっと 転がる時間が 取れる今日

明日は
ダンナちゃんとじぶんの定期検査通院の日なので

下記の記事を振り返り、身還しておりました。
(* ˊ ˘ ˋ)ˊ ˘ ˋ*)ღzzZ





𓂃 𓈒𓏸𑁍‬ 𓏸𓈒‬‬ 𓂃𓂂ꕤ*.゚𓂃𓈒𓏸 𑁍‬𓏸𓈒‬‬ 𓂃




人間の尊厳や、自己としての一貫性は
記憶のなかにあるので、
事故やアルツハイマー病などで
脳が損なわれ、記憶を失えば、
「私」そのものが消えていくように感じられる。
けれども、

シュタイナー思想の観点からいえば、
脳は「霊」を映し出す鏡である。

鏡が壊れてしまえば、
霊(すなわち「わたし」)の働きは、
この世には反映されなくなる。

アルツハイマー病の人の活動は、
だんだんに物質の次元から
霊の次元に移っていくことになる。

霊そのものに目を向けようとするなら、
一人ひとりの「私」が失われることはない。

けれども、
この物質の世界にあって、
霊を感じ取ろうとすることは、
ものすごい意識的な努力が必要である。


シュタイナーはあるとき、

アントロポゾフィーとは何か、という問いに対して、

このように答えた。


「アントロポゾフィーとは、
自分が頭で理想として目指していることと、
実際の自分の身体がどっぷり浸っている
社会的価値観との間で引き裂かれ、
そんな自分に
絶望することのなかに生じるものである。

人間の歴史のなかで、
およそすべての価値あるもの、創造的なものは、
悲しみのなかから生まれたのだ。

僕は、
シュタイナーのこの言葉のなかには、
彼が自分の思想に
「アントロポゾフィー/人智学」(人間の知恵)
という名前をつけた
理由が込められていると思っている。

サンテグジュペリの『星の王子様』ではないが、
「本当に大切なものは、目にはみえない」。

社会からすぐには認められないもの、
自分ひとりにしかその価値が感じ取れないもの、
そういうものこそ、
シュタイナーのいう「霊的」なものなのである。

一人ひとりの「私」が、
霊的なもの、目にみえないものを守ろうと
懸命に努力するとき、その努力のなかで、
アントロポゾフィーが、
つまり
人間本来の「知恵」が働く
というのである。

(アントロポゾフィーとは、ギリシャ語で、
「アントロポス=人間」
「ソフィア=知恵」の合成語である。)

その意味で、シュタイナーのいう霊学は、
特殊な「霊能力」をもった人が伝える
「教え」などではなく、一人ひとりが
自分が感じる「大切なもの」を守ったり、
育てたりするための道具なのだと、
僕は思っている。


🦋。:°ஐ..*✨☆*。⋆*ೄ。:✨°ஐ..*☆*。🦋
 

眠らせっぱなしの脳みそくんを、起こして!

人間本来の「知恵」を、
働かせて生きようにゃっ❣️キラキラキラキラ
虹虹虹(=ฅσ・σฅ=)虹虹虹