この日アップに 心友ちゃんには お話ししていた

わたし自身が創り出した、
【 異様な世界 】について。



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つづき


氣づいちゃったんだよね、猛烈に

現世の不条理を
生き貫いていく為の情熱へと変換して

自分自身、自らが創り上げてきた
【 異様な世界 】= 我が家(家族の関係性)
『在り方』に。


この点(天)が 腑に落ちたら、

なぜに 今 こんなにも
毎日 毎朝 一日中 しんどいのかが
(体も 心も 常に痛みを感じている、今)
容易に解った、そんな氣がした。




こうして来るしかなかった

そう

こうして 生き貫いて来る他なかった


”特に”

2006年の9月に、ダンナちゃんが
「生き還り」を体験した、あの日から。




わたし、7年しか
経験してなかったんよね

車に跳ね飛ばされる前の
ダンナちゃんとの結婚生活は


先日、ふと、浮かんで来たら、もう18年


『高次脳機能障がい』となかよくなった
ダンナちゃんとの結婚生活を送って来ていて


夫婦なんやけど 夫婦やなくて
母と赤ちゃんのような
介護生活が当たり前(自然必然)な毎日で



そこに+、母が

イレギュラーな何かを
起こしてくれる、わけで。




イレギュラーな 何かが 起こる度に

わたしを打ちのめして来ているのは「絶望感」


イレギュラーな何かから、再び
元氣になれて 浮上出来たね!

よかったね!

これで わたしもまた 想う存分、
志事(魂が歓喜に振るえるコト)が出来る!!


そう喜んだ(油断した)途端、また直ぐに、

イレギュラーな何かは、あちらからやって来る。



この 繰り返す「絶望感」が、わたしを、
打ちのめし、打ちのめし、蝕んでいる。




こんな現世を
こんな我が家の家族の関係性を

時間をかけて、命をかけて、
創造して来たのは、わたし。


母でも ダンナちゃんでもなく、
わたしがこの【異様な世界】を、創り上げて来た。



目には見えない障がい『高次脳機能障がい』
症状の影響から

ダンナちゃんが傷つけられないようにと
危ない目に遭わないようにと

出来得る限りのすべてを尽くし


元から 聴こえが不自由な母が 誤解から
傷つけられないようにと
危ない目に遭わないようにと

出来得る限りのすべてを尽くし


いつの間にか、母も ダンナちゃんも
”「自力」では生きていけないように”

わたしがそう、創り上げてしまった。





今、想えば
一(はじめ)の頃は 真面目に 頑なに 守っていた

ダンナちゃんが「自力」で生きていけるように
サポートしていく介護を


何もかも 手助けするのではなく
『出来る事は自分でやってもらう』
見守り・声かけ介護を、徹底して実践していた。


これは
ダンナちゃんの『高次脳機能障がい』に
対するコト、だけではなく

母の『脳血管性認知症』に対しても
同じコト




でもね
もうね

言葉を発するのも嫌になる

そんな時があるんだよ



今も かなり あるよ

我が家の中では黙していたい
そんな感覚が


相手の状態に合わせて話す事に
心がついていけなくなる時がある


いつだって
わたしの心は「後回し」だからね


これも、また
自分自身が創造した、仕組み。





幾つもの 現世での戦いを体験して

(初めからすべては赦されているのだから)
すべてを許し 受け入れて 生きていくしかない
そんな 自然必然な 流れに 氣づいて


常世と現世の境界線など
端から無いかのように
生きて来ている、”うち”やけど


わたしが創造した
家族が安心安全に暮らして行けるようにと
築き上げて来たこの関係性は、今や

わたし自身を「絶望」へと導く、
トリガーとなっている。






今朝はね
無意識なまま 呟いていた じぶんが居たよ

そろそろさ
昔のじぶんがそうだったように

心を殺して生きようか
「家族の安心安全の為に」、と。








やっぱり むつかしいなぁ

にんげんとして ふつうに 生きるのって

(ノ∀≦。)ノぷぷ-ッ


火水(神)として

自然に生きる(自然と死ぬ)のは

簡単なのにさ