「 それは、”あなたの感情” ですか? 」

時々 わたしは 尋ねます


共感能力の高い人(エンパス)は
相手の氣持ちに 寄り添い”過ぎて”

相手の感情を 自分の感情だと
思い込んで(丸呑みして)しまう ”クセ” がある


”憑依”(=共依存)され易いのも
このタイプの人だ



”クセ” と書いたが、本人は

”無意識なまま” そうなってしまうのだ



あなたは ”自分に”

『意識』を どれだけ 向けているだろうか?





ここにも 書いたが


自分の『意識』を 常に ”外側” に向けているから

いつまで経っても 自分の外側に
”自分の理想像” (救世主)を追い求めるのだ


茜ちんに対して「本物だ」と表現する人は

霊主茜 を 自分の理想像の救世主 と
重ねて 見ているに 過ぎない


「本物」は 誰しもが

自分の ”内側” に 住まわせているのだから





人はみな 自分が見たいと想っている対象を

相手の中から ”選んで” 見ている


わたし自身のブログ ”だけ” を観ていても
それは 顕著に 現れているのだが(笑)


霊主茜が書いた記事に
 ”しか”
目(意識)が向かない人もいれば

霊止茜が書いている
家族の介護をしている日常生活を書いた記事に
 ”しか”
目(意識)が向かない人もいる



エゴなわたしは
この両方をまるっと観てくれている人が
好きだ(信頼している)


なぜなら


変”体”の(特別視されがちな)霊主茜だけではなく

わたしの『在り方』を
尊重してくれる人だからだ




霊感が強い人ほど
霊主茜にしか 興味の無い人が多く

その実態を体感する度に わたしは
がっかりし続けてきている


こんなだから、まだ

目醒めている ”かのように見える” 人たちでさえ

その
『両の眼』が 開けていない のだと。



自分 の 自身
魂の容れ物である、肉体(神殿)を

怪我や 病氣に 陥れてまで

外側に在る 何かの為に 奉仕しろ!
なんて言う神は

どこにも存在しないからね


未だにいるよね

自分の生を犠牲にして
人身御供の巫女のような生き方を
崇高な生き方だと
勘違いしている人たちが



まあ、この世は、すべてにおいて
自己責任の 自由選択が 赦されているから

そういう意味では どうでもいいんやけど(笑)
( 自神はいつも超クール w )



わたしたちは、みな ”自神(自身)が望んで”

 この世に生きられる
肉体(宇宙服)をお借りして

生まれて来たんやから

その肉体を 自神(自身)で 一番に
大切にすることが出来ない人に

霊主の力を発揮出来る人なんて
一人もいないからね


それでも 何らかの力があるとするなら、それは

霊主 ではない 別の何者かに 操られている
つまり
憑依(=共依存)されているだけなので

呉々も お氣(自神の氣)をつけて





お困りの方は

時に 『祓い清めのプロ』とも 呼ばれる茜ちんに

御相談くださいな