今回は前回、時間切れとなって(何の時間だよ?)言及出来なかったムシュフシュなど11の魔物を生み出したとされるメソポタミア神話のティアマトについて少し見てみたいと思います。ムシュフシュはクンダリーニのことと考察しましたので、それを誕生させたティアマトも何らかの繋がりがあると考えられます。
ティアマトについてウィキから断片的に引用します。
『ティアマト(tiamat)は、メソポタミア神話(シュメール、アッシリア、アッカド、バビロニア)においてアプスー(淡水の神)と交わり、より若い神々を生み出した原始の海の女神。
彼女は原始の創造における混沌の象徴であり、女性として描写され、女性の象徴であり、きらきら輝くものとして描写される。ティアマトの神話体系には2つのパートの存在が示唆されている。
バビロニアの創造神話である叙事詩エヌマ・エリシュでは、彼女はアプスーを夫として初代の神々を誕生させたが、彼らはアプスーを殺し王座を奪おうと画策し、戦いになってアプスーは殺された。激怒したティアマトは巨大な海の竜に変身し、夫の殺害者たちとの間に戦争を繰り広げたが、エンキの息子で嵐の神マルドゥクに殺害された。
しかし、殺される前に彼女は最初の竜をはじめとするメソポタミアの神殿の怪物たちをもたらした。怪物たちの身体を彼女は「血ではなく毒」で満たした。マルドゥクは彼女の殺害後にその身体を割って天と地を創った。』
『アプスーとティアマトは多くの神々を生んだが、増えるにつれて増大する、神々の起こす騒ぎに耐えかねたアプスーは、ティアマトに彼らを殺すよう持ちかけた。 しかし、母なるティアマトはそれを拒否。 更にアプスーは計画を悟ったエアの魔術によって眠らされて殺されてしまう。
ティアマトは、更に続く神々の起こす騒動に耐えていたが、エアの子であり父をはるかに凌ぐ力を持つマルドゥクの誕生と、アヌによって贈られた4つの風によって遊び、騒がせるマルドゥクに苛立ち、配下の神々の批判もあってついに戦いを決意する。
ティアマトは権威の象徴たる「天命の書板」をキングーという神に授けて最高神の地位に据え、更に11の合成獣軍団を創造し、戦いの準備を進めていく。 後に神々により選ばれティアマト討伐に来たマルドゥクを迎え撃つが、マルドゥクの威容を見たキングーは戦意を喪失。 ティアマトは一人でマルドゥクに挑み、彼を飲み込もうと襲い掛かったが、飲み込もうと口をあけた瞬間にマルドゥクが送り込んだ暴風により口を閉じることがかなわなくなったところを、弓で心臓を射抜かれて倒された。
以上、引用。
ティアマトは本来竜の姿ではないと否定されていますが、ティアマトが生んだ11の怪獣には七つ頭の大蛇(竜)であるムッシュマッヘーとかムシュフシュなどの蛇系が多いです。
七つ頭の蛇と言うと、以前にも記したことがありますが、菩提樹の下に棲み、そこで瞑想する釈迦を嵐から護ったムチャリンダが想起されます。菩提樹は本来はインドボダイジュであり、それはイチヂクのことであって、イチヂクはエデンの園のところで解釈したようにクンダリーニのメタファーでしたね。
釈迦伝説における「イチヂク(インド菩提樹)と蛇(ムチャリンダ)」のセットは「エデンの園にあった禁断の木の実(イチヂク)がなる知恵(善悪の知識)の樹とその果実を食べるようにイブをそそのかした蛇」という旧約聖書における「イチヂクと蛇」という組み合わせと同じです。どちらも、クンダリーニに関わることだと自分は思います。釈迦は菩提樹下で悟り、イブにも善悪の知識を得るという悟りに関わる事象がそこにはあります。
グノーシスではイブは地母神であり、シュメールのイナンナの投影であるという説から、話はここに至っています。
南米にもインドにも中国にも同じ象徴に関わる話はあります。自分はシュメール(メソポタミア)よりもインダス文明に原形があるのではないかと推測するのですけどね…。ナーガです。
インドのカンベイ湾に9500年前の都市遺跡が水没しているのが2002年に発見されています。海に沈んだ海底都市です。このことはインダス文明より何千年も前に既に文明があった可能性を示唆し、インダス文明はそれを引き継いでいたと考えることもできます。当然、メソポタミア文明(シュメール)より古い。アトランティスとかの海底に沈んだ古代文明が自分はあったと考えるのですが、クンダリーニテクニックはそうした過去の文明から引き継がれていると推察します。なので、世界中に世界樹信仰があったということは、それらも失われた古代文明の遺産であったと考えられるわけです。
さて、ティアマトはバビロニアでの神話に登場する女神で、それより古いシュメールでは上記したナンムが原形ではないかと言われます。メソポタミアは最初にシュメール人、その後にアッカド人、アッカド系のアモリ人(バビロニア人)、アッシリア人、カルデア人が支配しましたが、シュメールの神話や文化はかの地を支配した各民族に受け継がれていきました。
上記のカルデア人はカルデアンマギ(カルデアの神官)ということで、以前プラトンやピタゴラスが接触して影響を受けたということを記しましたが、ミトラ教の主要部分はカルデアンマギがシュメールの宗教を基に作ったものとされますから、ミトラが「ライオン・蛇・鳥の合成獣」でも表されることは、ミトラ(弥勒)はムッシュマッヘーでもあるということではないかと思います。
されば、ムッシュマッヘーは七つ頭の蛇でもありますから、それが時代を経て日本のヤマタノオロチへと変化したとも考えられなくもないです。その可能性はあるでしょう。
キリスト教や仏教などの宗教を遡るとシュメールに行き着くということはよく言われますし、ラガシュ市のグデア王の個人神であったニンギシュジダは蛇神であり、クンダリーニを表すカドゥケウスを象徴とした冥界の神であって、そのことはニンギシュジダがヘルメスと関連することを表していました。
また、ニンギシュジダはムッシュマッヘー同様ティアマトが生んだ11の怪獣の一つであるムシュフシュの原形ともされます。そのヘルメス(=ニンギシュジダ)と猿田彦大神は共に冥界の神であって自分的には同神となります。時を遡れば同じ根っ子が見えます。
シュメールは60進法を発明したとされ、神も60を最高に数字で表されました。60進法は時計の60分がそうですね。
最高神のアン(アヌ)が60、アンの妻のアントゥが55、風と嵐の大気神エンリルが50、その妻のニンリルが45、以下、エンキ40、ニンキ35、ナンナ30、ニンガル25、ウトゥ(シュマシュ)20、イナンナ15、イシュク10、ニンフルサグ5でこの12柱が原初の神です。
日本で五十鈴など50(五十)のつく名前は、シュメール起源でエンリルに関係するという説もあるんですよ。五十鈴川は伊勢の内宮や猿田彦神社を流れます。エンリルは嵐の神なので五十嵐はエンリルを意味するとか…。自分は?で否定的ですが。
バビロンのマルドゥクが上の数列には入っていませんが、後に10という数字を与えられました。マルドゥクはシュメールではなく、バビロニアの神です。なので、ティアマトやキングーを殺して最高神の主権を象徴する「天命の書板(タブレット)」を手にし、それを最高神のアヌに渡したという話は、シュメール人からアッカド系の人達に権力が移ったことを意味するのだそうです。
このティアマトも、バビロニアの女神なのですけどね。その前身は先程記したナンムではないかとされます。前記引用したのはバビロニアの創造神話(エヌマ・エリシュ)で、マルドゥクを讃える為に神官が創作したかたちの話であって、バビロニア以前にマルドゥクという神の名前は出てきません。このマルドゥクという名前については「太陽神ウトゥの子牛」の意味があるともされ、牡牛と考えられているそうです。
で、メソポタミアでは女神の方が男神より年上と考えられていたということは宇宙の原初には女神が存在したということであり、それは創造を行う地母神ということになると思います。
鋤(すき)というと、シヴァ神のシンボルである「リンガ」には男根の意味の他に犁(からすき)の意味がありましたよね。シヴァの神獣は牛のナンディー(ナンディン)であり、それはシヴァ神自身と考えられています。また、シヴァ神は蛇(コブラ)を体に巻き付けます。「鋤(リンガ)・蛇・牡牛」というシンボルはマルドゥクと重なります。
リンガには男根と犁(からすき)の意味がありましたが、以前、推考したように犁はエネルギーラインである背骨に似ています。三叉戟は三本のクンダリーニラインですし、雷はクンダリーニそのものです。すると、マルドゥクもクンダリーニ神ということなのかも知れません。クンダリーニの象徴とみたムシュフシュを随獣としましたし。
犁(からすき)は牛ぐわとも言い牛馬に牽かせるのですが、写真の左側の部分が背骨に似ており、先端の鋤の部分は仙骨に見えます。また、仙骨は牛顔でしたね。
さて、また横道にそれましたが、ティアマトに話を戻すと、バビロニア神話のティアマトはシュメール神話のナンム(ナンモ)とされ、『ナンム女神は、「天地が形を整える以前に世界のはじめからあった淡水の海」を体現する女神とイメージされていた』そうです。
ナンムは自ら天地を創造しましたが、ティアマトの場合はマルドゥクに殺されて天地に分かたれたと話が変わります。また、ナンムが泥で人間を造ったのに対し、バビロニア神話ではティアマトの子供のキングーから人間を造ったと語られます。