この春からエネルギーは加速し、

上昇する地球はますますスピードを

上げていきます。

 

そんなときに、

自分に誇りを持てていないって

少し問題のようなんです。

 

スピードを上げて上昇する地球に

ついていけなくなるようなんですよ。

 

 

 

「自分に誇りを持つ」って

どういうことだと思いますか?

 

 

自分に誇りを持つとは

自分が自分で良かった!と

心底満足状態。

 

私は私で誇らしいと思える状態です。

 

 

あなたはどうですか?

自分に誇りを持っていますか?

 

 


何かを成し遂げたり、

誰かに認められたり、

そういう外からの要因で

誇りを感じる人もいるでしょう。

 

でもそうなると、

何かを成し遂げていなかったり、

誰かに認められなければ

誇りを持つことができませんね。

 

 

誇りとは外からの評価ではなく、

自分が自分であることに

満足している状態を言います。

 

 


どうして今、多くの人が

自分に誇りを持てないのか?

と感じてみると、

 

やっぱり

「魂と切り離されているから」

と出ていました。

 

 

魂はみぞおちにあると言っていますが、

いつもそこにあるわけではなく

自分の軸がズレたときは

魂も上や下にズレてしまいます。

 

 

魂がバシっとみぞおちにあるときは

自分に誇りを持っていて、

揺るがない状態ですが、

 

世界的に揺り動かされている今、

ちょっとしたことで

魂がズレてしまう人がいるようなんです。

 

 

 

ただ、魂がみぞおちに

ずっとある状態にするのは

テクニックですることができないんですよ。

 

 

なぜなら、

強すぎる欲、人と比べる心、

争う意識、見下す意識、執着、怒り、

強すぎる悲しみ、焦り、不安....

 

あらゆる自分の状態が

魂の位置に反映されるからです。

 

 

だからこの時期に大切になるのは、

自分がどんなときに

感情が揺れ動いてしまうのかを

よく知ることなんですね。

 

世の中で起こるさまざまな問題は、

自分の感情の振れ幅を教えてくれます。

 

ある意味それは自分の「弱点」です。

 

弱点を認識することで

魂がズレなくなっていきます。

 

すると少しずつ

誇りを取り戻せるでしょう。




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こちらアップの記事を 発振した頃には、すでに

右瞼の腫れも引いていた、わたし。照れウインクキラキラキラキラ



いつものように

ダンナちゃんにコード係をやってもらいながら、

掃除機をかけたり、していました。ニコニコニコニコキラキラキラキラ



その後


次回の

♨️ゆるさらリトリート♨️

宿泊先を検討しておりましたら


下記の記事が、目に飛び込んでまいりました。




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①国家鎮護太子
 泰澄大師が如何に偉大な霊的実力者であったかを歴史に消されてきたのは修験道の開祖役小角を遙かに超えた実力者であった故ともいへよふ。何故なら此事は役小角を崇める人々にとっては認めたくない唯一の事であったのだ。しかし事実は事実として認めよう。其処から凡ては出発するのだ。霊的に進化するためにはそのことを知らねばならぬのは何故その様な実力差があったのかを知らねば進化の道がわからぬからである。ここに斯くの如く事実が記されている。

 「彼は行験に誠に優れた方であった。元正天皇の御病が重くならせられた際、白山の泰澄と当時有名であった役小角を召されて、病魔懲伏の効験を命ぜられた。  泰澄は忿怒明を誦して遂に小角を屈服せしめた。従って彼の名声は四海を圧して苦行の輩が彼のもとに集まって来たといふ。(出羽三山史p24)出羽三山神社刊
 此処に重要な事が記録されている。この事を修験道は隠してきた。日本一の行者といわれた役小角も病気をどうにも出来なかった。根来寺に役小角が祀られているが真言密教の秘法が現在失われているが(勿論高野山にもない)覚鑁興教大師は非常に優れた力の持ち主であった。
 「かの法とは何であるか。いまだに永久の謎とされている秘事である。唯授一人とされていたものは、教学に関するものではなく、修道法の一分野である事相についてのことであると推測されている。
 修法の功徳はあくまでも呪(まじな)いの効用にある。真言、天台両宗で事相が師弟あい伝えてきたのは、この密教観法にあった。」 (大悲の海にー覚鑁上人伝 津本陽著p152新潮文庫)

 「養老6年41歳の時、元正天皇が病気になり、天下の有徳の行者ことごとく祈ったが、験めがなかった。そこで命が泰澄に下り、彼が三鈷を天皇に擬すと、たちまち平復した。それにより護持僧となり、神融禅師の号を許された。神亀2年(725)44歳の時、行基が白山に登り彼と会して旧知のごとくで、ともに白山神の霊験をたたえあった。」(修験の山々p54-55柞木田龍善著、法蔵館刊
 柞木田氏は役小角と泰澄の勝負を知らなかったのか、故意に省いたのかは、やはり小角を尊敬する故に名前を省いたのであろうと思はれるがすへての書物がそのようになっている。泰澄大師は小角より偉大だったが故に歴史から埋没してきたのだ。蔵王堂が世界遺産となり小角が知られているのにくらべ泰澄大師は知られていない。




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( またもや『十一』‪w )



うちが その場に立った時に

どのように体感するのか


今からとても、楽しみです。おねがい音譜音譜