弁才天には「十五童子」が眷属として従うが、これも宇賀弁才天の偽経に依るもので、「一日より十五日に至り、日々宇賀神に給使して衆生に福智を与える」と説かれ、平安風童子の角髪(みずら)に結った姿をとる。十六童子とされる場合もある。


信仰

近世になると「七福神」の一員としても信仰されるようになる。室町時代の文献に、大黒天毘沙門天・弁才天の三尊が合一した三面大黒天の像を、天台宗の開祖・最澄が祀ったという伝承があり、大黒・恵比寿の並祀と共に、七福神の基になったと見られている。

また、元来インドの河神であることから、日本でも、水辺、などに深い関係のある場所に祀られることが多く、弁天島弁天池と名付けられた場所が数多くある。 そのため弁才天は、日本各地の水神や、記紀神話の代表的な海上神である市杵嶋姫命(宗像三女神)と神仏習合して、神社祭神として祀られることが多くなった。

日本三大弁天」と称される、竹生島宝厳寺竹生島神社宮島大願寺江ノ島・江島神社天川村天河大弁財天社は、いずれもなどの水に関係している(いずれの社寺を三大弁才天と見なすかについては異説がある)。江戸時代には江戸市中の各所に著名な弁天信仰あり「江戸七弁天」とよばれた。その一つ、寛永寺・不忍池弁天堂は、琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池に中之島を築き、建立されたものである。

  兵庫県六甲山山頂にある大きな磐座をご神体とする六甲比命神社は弁財天を祀る、とされる。六甲山麓・周辺には弁財天を鎮守神とする寺院が多いが、神呪寺の南の目神山の、役行者と弁財天が邂逅したという伝承のある場所の磐座には役行者の像が鎮座する。役行者はその後、天武天皇と共に、天河で伊勢神宮内宮荒祭宮の祭神を弁財天として祀る天河大弁財天社を創建した。

また、弁才天の縁日は干支で「」の日とされており、60日に一度巡ってくる己巳」の日は特に縁起の良い日とされている。


✿⌒✿🌼✿⌒✿🌼✿⌒✿🌼✿⌒

 

4[八大龍王と役行者]

八大龍王は役行者=役小角(624~710)が奉斎したことで知られる。

役小角は聖徳太子没して12年後、
*明6年に葛城山の麓、
茅原の里(現御所市)に出雲の加茂氏と葛城氏の娘との間に生れ、
仙道、道教、古神道、仏教を学んだ。

これに満足せず、
人間完成への探究と実践こそ神仏の境地到達の道であり、
国家安泰、万民幸福の道である(今宮神社資料集、平成7年)、と悟り、
更に難行苦行し、
箕面山で龍樹から乱れた世を救う悲報を授かった。

吉祥草寺、蔵王堂をはじめ、
関東では日輪寺(茨城)、大平山三吉神社(秋田)、金嶺神社(山形)、熊野神社(山形、温海町)など、
役行者開基や何らかのかかわりをもったと伝えられる寺社は四十余ヶ寺数えられるという。

それ程に力を持った役行者については、
「超人、役行者小角」(志村有弘、角川書店、平成8年)に、
「神変不可思議、得体の知れぬ謎の超人」と述べられている。

その役行者が11才の時(645)に、
大化改新を迎えている。

38才の時には、壬申の乱(672)で天武軍を援け、
その後天武帝に重く用いられたといわれている。

真剣に国家安泰、万民幸福への道を探り、
衆生を教化して、
人々を仏の道に誘うことを願って「行学」の限界を修め、
遂に神仏習合の神々を時と処に尋ねて、
祀っていった。

その結果、
農耕国家かつ仏教国家にとって
「水から生れる発想や自然の摂理」を祀ることと共に、
「国家安泰、万民幸福」を国家的規模で祀る重要さを感じていたことが推定できる。

「水と観音」が一体となった姿、
それが八大龍王でありそれは、
万物の生命の根元であり、でもある。

そして生きる力でもあり、真理である。


5[役行者はなぜ八大龍王を秩父に祀ったか]

699年に伊豆に流された役行者は、
701年に罪を許されている。

その後箕面に住んだが、
その頃知々夫(713年に秩父となる)の地に訪れている。

その地には既に御巫八神が祀られていたからに他ならない。

そして八首の龍王(八大龍王)を合祀して八大宮と称した(御巫八神の項参照)。

神界で最高の神格をもたれた八神と、
仏界で大日経系の胎蔵界の最高尊格を持たれる大日如来との橋わたし役をされる使命を八大龍王にみたのであろう。

観音菩薩と不離一体であるという八大龍王の(御神徳=力=教え)に、
役行者は、将来の希望即ち国家安泰、
万民幸福の願いをたくされたのではなだろうか。

「・・・その後相州の八菅山(703)そして和銅3年(710)に入定した。」(志村有弘、超人役行者小角)という。

果たせるかな、秩父はほどなく、行学を修め、
人間探求と実践並び神仏の境地到達の道を求める修験道の一台拠点(聖護院直末寺、大先達)となり、
その後500~800年を経て天文五年(1536)観音札所34ヶ寺が整えられた。

そして江戸の発展に伴い、
多くの巡礼を受け入れ、
観音札所と八大現社(今宮八大宮)は共々盛んとなった。

しかし、
明治維新と太平洋戦争敗戦の荒波と、
観光商業主義の世情の中に、
御巫八神と八大龍王を祀る八大宮はしずまられ、
およそ130年の間、
お隠れになる日々を余儀なくされたのである。


✿⌒✿🌼✿⌒✿🌼✿⌒✿🌼✿⌒




マリアさまが、



教えてくれていました。キラキラ☆キラキラ☆



鬼子母神に、´(角)は無し。



不動明王とは、



生母マリアさま。✴



生母マリアさま=不動明王さま。

赤い龍、紅の龍、



丹の女神、暁の女神。。。宝石赤キラキラ

控えている御神事へとキラキラ☆キラキラ☆

心を寄り添わせていました。sakuraきら




✿⌒✿🌼✿⌒✿🌼✿⌒✿🌼✿⌒





✿⌒✿🌼✿⌒✿🌼✿⌒✿🌼✿⌒