こっちを使うのはとっても久しぶり。
SNSの方にしばらく書いていて、当初はこっちだのあっちだの色々と使い分けていたりしてみたのだけれど、
性格的にそんな器用なことは出来そうに無いです。
というか、同じ人間が体験していることをバラバラなモザイク状にして散りばめてしまうと、なんか一つ一つが
取るに足らないものになってしまう気がする。
ついこの間、
「男の子は恋愛も部活も論文も全部トータルで優先順位を付けて考えてる風に見えるけど、女の子はレポートを書いて切羽詰まってても、それとは別に恋愛のことを考えていて、あまりそのことは交差とか比較しないんだよ」
っていう話をしていたことを思い出した。
確かに、このブログの収拾のつかなさは、僕がその例に漏れていないということを表しているといえる。
「分類する」という思考とか行為が苦手という意識はないのだけれど・・・・
きっと自覚の外で、すでに処理されてしまっていることなのかもしれない。
ゼミで野外音楽フェスの話になった。
そこから共同体の生成がどのように行なわれていくかとか、内部でどのようなつながりを維持しようしているとか、そんな話になった。
気になったのは、
「勝ち/負け」のような明確な二項対立を持った構図を持つ集団や共同体と「好き/嫌い」のような曖昧な二項対立をもつ集団や共同体が観察出来るかも
という部分。
どのように人々が繋がっていくのか?ということを考えた時に、前者の勝敗や善悪の仕切りを設けた方が双方内部の結合は強固なものになる。だが、音楽フェスのような場面で、そのような対立構造が見られないということが報告にあり、でも人々が集まってくるという現象が一方で実際に起こっている。
確かに、本来は商業目的なのだから集まることは当然であろう。では、そこに集められた人々をつなぐものはなんだ?
そんなことを考えていた時に、ふと環境の話が記事として出ていた。
もしかしたら、これが人々をつなぐ糸になったりするかもしれない。「一つしかない、ぼくらの地球」みたいなことで、地球に優しくない→悪 まぁ悪までいくことはないと思うが、最近は集団あるところにECO活動や要素があるように感じられる。
僕たちをつなげているのは、結局のところ地球であり、現在のところ目の届く一番大きい範囲の問題、ということになるのかもしれない。
SNSの方にしばらく書いていて、当初はこっちだのあっちだの色々と使い分けていたりしてみたのだけれど、
性格的にそんな器用なことは出来そうに無いです。
というか、同じ人間が体験していることをバラバラなモザイク状にして散りばめてしまうと、なんか一つ一つが
取るに足らないものになってしまう気がする。
ついこの間、
「男の子は恋愛も部活も論文も全部トータルで優先順位を付けて考えてる風に見えるけど、女の子はレポートを書いて切羽詰まってても、それとは別に恋愛のことを考えていて、あまりそのことは交差とか比較しないんだよ」
っていう話をしていたことを思い出した。
確かに、このブログの収拾のつかなさは、僕がその例に漏れていないということを表しているといえる。
「分類する」という思考とか行為が苦手という意識はないのだけれど・・・・
きっと自覚の外で、すでに処理されてしまっていることなのかもしれない。
ゼミで野外音楽フェスの話になった。
そこから共同体の生成がどのように行なわれていくかとか、内部でどのようなつながりを維持しようしているとか、そんな話になった。
気になったのは、
「勝ち/負け」のような明確な二項対立を持った構図を持つ集団や共同体と「好き/嫌い」のような曖昧な二項対立をもつ集団や共同体が観察出来るかも
という部分。
どのように人々が繋がっていくのか?ということを考えた時に、前者の勝敗や善悪の仕切りを設けた方が双方内部の結合は強固なものになる。だが、音楽フェスのような場面で、そのような対立構造が見られないということが報告にあり、でも人々が集まってくるという現象が一方で実際に起こっている。
確かに、本来は商業目的なのだから集まることは当然であろう。では、そこに集められた人々をつなぐものはなんだ?
そんなことを考えていた時に、ふと環境の話が記事として出ていた。
もしかしたら、これが人々をつなぐ糸になったりするかもしれない。「一つしかない、ぼくらの地球」みたいなことで、地球に優しくない→悪 まぁ悪までいくことはないと思うが、最近は集団あるところにECO活動や要素があるように感じられる。
僕たちをつなげているのは、結局のところ地球であり、現在のところ目の届く一番大きい範囲の問題、ということになるのかもしれない。