昨日バスに乗っていたときにふと、攻殻機動隊の話の中に出てくる造顔作家のことを思い出した。造顔作家とは文字通り、顔を作る作家のことである。
そのアニメは近未来の公安がnetを駆使して事件を解決していくストーリーで、その中の話の一つに造顔作家が出てくる。なぜ、顔を作る作家がいるかというと、設定が近未来なので体をサイボーグ化出来る時代で、当然顔もサイボーグ化している。(本編の中では「偽体」と言われている。)それで、造顔作家もいるというわけなんだが、引っかかったのは造顔という行為をどう感じて顔を作ってもらうのか?というところ。

顔は生まれ持ったものがある。それに修正を加えるのが現代でいうとこの整形であったりする。これも一種の造顔?
整形でも、造顔でもよいのだが、これを行う前提に自分の本来の顔が存在するということがある。ようするに自分の中で比較の基準があるのである。
例えば、着せ替えの出来るケータイにも最初についてくるパネルがあるのと同じことで、それが嫌で気に入らないからオプションで新しいのを着ける。これは最初からついてきたものとオプションの比較をしていることになる。

比較することが出来る状態が現状だけれども、もし生まれてくる前から顔を選択できるとしたらどうだろう?当然この場合は本人が選択出来るわけじゃない。一卵性の場合を除けば、まったく同じ体はないという、生命のルールがあるが、あえてその偶然を必然に変えてしまうということも出来なくはないだろう。

こんなことを考えたのは、顔が人のアイデンティティに大きく関係があると思ったから。自分の理想を追い求める行為が自分の自我を崩壊させてしまう危険性を含んでいるのかもしれないとか思った。