本題とあんまし関係ない長い前置きだけどちょっとだけダイエットとかの話する〜!笑
今年の4月からちゃんとダイエットを始めた私( ・∇・)
私もうすぐ29歳になるんだけど、
この5年間で6kg太りましてね、ついに過去最高に太ってしまいまして\(^o^)/
長年明らかに代謝が下がるような食生活を続けていたのと
去年の冬運動をサボっていたのもあって今年の2月時点で158cm54.4kgまで太ってしまい
歩くだけでなんかブギブヒした感じがあってしんどいってなって初めて太ったことを実感しまして、本気でダイエットを始めたのが今年の4月
代謝を上げるのにきちんと食べる習慣付けをするためにあまり好きではないお米を毎日食べる生活を始めましてね(もちろん運動もしている)
まあそれが結構始めはしんどくてですね、
今度ダイエットの事詳細も書きたいなあ、とりあえず毎月1キロちょっと落ちて今51.2kgあたりまで落ちました。
体型体重は人それぞれベストがあると思うんだけど、去年の冬はけっこうサボっていたけど私の場合ずっと運動習慣があった人なのでもともと筋肉質なんだよね
だから体型的には正直今の体重で全然良いなあって感じなんだけど
(私の場合食べ過ぎて太ったとかではなくてちゃんと食べない事で代謝を落として太った感じなのでダイエット前より食べる量は多いんですよ。)
まあこの生活をしてもうダイエットというよりも生活習慣みたいになってきたんだけど
どんくらい落ちるかの実験的な感じで48kgまではダイエットって気持ちでいようかなって思ってる
そんでお米生活を始めてようやく慣れてきてこれからの人生お米を食べ続けるんだなあっていうのを実感して、先月始めて無農薬のお米を買ってみたんですよ。
まあ本当に美味しいんだけど、それより前から無農薬のお米を買ったらお米の研ぎ汁発酵液を作ってみたくて、それが叶いましてね。
んまあそれが大正解でして!
私の身体にめちゃくちゃ合っていました!
市販の乳酸菌だとラブレ菌が私の身体に合っていてたまに便秘になった時とかに飲むとスルッと出てくれていたので植物性の乳酸菌が合っていたんだなあなんて思っていたんだけど、
お米の乳酸菌はそれ以上だった!
飲み始め4日位は1日5回とかこんなに食べてないぞ??って位💩が出て、
しかも臭いが整体とか足裏をゴリゴリマッサージした時とかに出るくっさい臭いの💩と
漬物の香りのする💩が交互に出て自分の腸内細菌をまじまじと目の当たりにして感動してしまいました笑
個人的にこれがダイエットとか解毒とか含め自分の肉体を整えるのに一番だっていうのが分かって感動しました
別に解毒ってことだけじゃなくね、自分の事、身体の事って本来は他人に委ねるのではなくて自分に聞くべき事なんだけどね。
前置きがバカ長くなったけど、
(私頭女子なので聞かれた事とか要点だけを言うってより関係ないことでも頭に浮かぶと何か全部ペラペラ喋っちゃうタイプなんですよ)
この肉体を持った世界では物事の原因ってのは影に隠れて見えず分からないまま結果だけが現実として目の前に現れるように感じてしまう。
人は望まない出来事が起こる時、時に人のせいに、環境のせいに、時代のせいに、時に神を頼り、常に人は外側に答えを求めてその場をしのぎながら何とか人生をやり過ごし、
そんなループを何度も繰り返した末にいつかどこかの人生で自らの内側と向き合わざるをえない所まで追い詰められて初めて自らの深淵に隠されている真実に光を当てる道に進む時がくる。
それは真実への道ではあるけれど大体人生のどん底を経験した時だけどね
地味に今世がそんな精算の人生の方が多いように感じます。
スピリチュアルや浄化が胡散臭いのは生きづらさや人間関係の苦しみや人生における不幸の原因は何か自分ではどうにもできない運命のようなもので、自分はそれに振り回されるだけで、
その苦しみを取り除けるのは外側の何か強大な光り輝いた大いなる許しの存在やその存在と繋がっている人のように説かれたり、またはそんな欺瞞を望む自らの弱さだったりする。
「をいをい貴様はそんな無力な存在かい、どんだけ人間重ねてきたと思っているんだい」と言いたくなるわけですが。
これは私がずっと一貫して言われていたことで、外側には答えはない、神は内側にしかいない、外側の神は全てが闇であるってこと。
闇って言い過ぎだろって思ったりするけれど、歳を重ねていくごとに言いたいことは分かるようになってきたものはあって。
浄化って精神的な、霊的な覚醒や成長をすること、またそれによって自分の中にある能力が開花していくことって思われていると思うけれど、それは全てその浄化の結果であって
浄化を始めるとそれをしていない時よりめちゃくちゃ精神的に不安定になるし、それはそれはまるで自分が精神的に霊的に未熟な存在のように感じると思うんだけど、もうすでにこの文章に答えがあるんだけどね笑
浄化っていうのは未浄化な感情と向き合うことから始まります。
現象を通して湧き上がってきた感情、想い、それは相手を恨む気持ちだったり、怒り、悲しみ、プライドをへし折られた屈辱感だったり、
何もできなくなるほどの罪悪感や恐怖心だったり、目の前が見えなくなって他人に縋り付きたいような気持ちだったり、etc.
そんな自らの感情を認識することから始まる。それはこの世界で結果を創り出した自らの動機を識るきっかけになります。
だから内観が大切なんですね。
こんな感情を持つ自分に恥や自己嫌悪の意識を持つものかもしれません。
自分が認められ愛されたいがために演じ続けた本当の自分ではない、自らが恥じ、嫌ったありのままの本当の自分の一端を人間関係を通して炙り出された時
その恥や自己嫌悪の意識を通して自分が愛されたいと望んでいた相手に求められた自己を演じ続けてきた苦悩や代償を求める愛に、本当は深く傷ついていた事に気がつくかもしれない、
その真実に気がついた時、それまで着けていた仮面が粉々になり、ありのままに愛されたかった痛みや悲しみ、許せない想い、そして自分自身がありのままの自分を傷つけ続けてきた痛みetc.
そう言った感情が一気に白日の下にさらされるわけです。ひーつらい
全てが崩れるようなこの瞬間が一番つらく苦しいものだけれど、内なる亡霊を供養し成仏させるっていうのはこういうことなんですね。
「怪物と戦う者は自らも怪物にならないように心せよ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。」
まさに自分内なる亡霊と対峙する時の心得だよね〜。
内観やカウンセリングって言うのは内なる亡霊や魔物を浄霊浄化する事。
内観をする、浄化をするというのは実はある程度精神的に成熟していないと難しい
精神的な成熟、成長とは、自らの感情的責任を負える事です。
だからこそ人は心の奥底に住んでいる怪物と対峙することを避けるためにあらゆる最善を尽くすわけですが笑
白日の下にさらされた深い苦しみという亡霊を取り除くと柔らかくピュアな真の自己の一片が見えてくる。
面白いことに、このように自らを浄化することで浄化を迫られることに至った現実の問題が解消されていきます。
その時初めてあなたは私というような、知識として知っていたことが実体験として識るというこの世界の仕組みの一端を垣間見ることになります。
だから浄化を通して世界の真実、仕組みを識ることができるんですね。
こんな風に自らの内側を見る力を養い浄化を通して真の自己を生きようとすることで初めて様々な浄化が可能になっていきます。
もう少しスピリチュアルな話になってくるけれど、
過去世をみることを何か高尚な過去世の自分が今世の自分や世界に向けてメッセージを受け取る高尚な能力に思ったり
お祓いって何だかジャンプ漫画みたいなものを思い浮かべる人もいて、
(実際ね、浄霊をするにあたって本当にジャンプ漫画みたいに戦わないといけない時って結構あるんだけどね。)
こういうのってまさにスピリチュアルの胡散臭さに繋がるけれど、
なんていうか、そんな高次元の世界に憧れる人間の高次元おままごとの道具ではないんですね。
過去世をみていく行為っていうのは、内観を通して見えてきた感情の原因を作った根っこの記憶というか情報を浄化することで、
逆に言えば内観という行為は過去世の亡霊に操られている自己を浄化し今の自己を生きられるようにすることなんだけどね、
私たちは徳も積めど多くのカルマも積んでいる。
素晴らしく高尚な自己は認め、どうしようもない悪の自己は認めないという訳にはいかんのです。
自分の中に悪が存在することが悪なのではなく、それを認めないことが悪なのだから。
そして認めないことで自己の中に怪物を作り出す。
その怪物を内側に持ち、自分の悪を隠すために何か高尚で特別な存在になりたいと願う内側の微細な欺瞞に闇の存在というのはつけ込んでいく。
世界に向けて神の言葉を伝える役割を授かってこの世界の為に祈るっていったって自分の中に欺瞞がある限り何も変わらないのでね〜
なーんていう人が意外と結構いるんですよ。
てかね、この場合もしめちゃくちゃ運よくこの人生で自分を導いていた存在がやばいものだと気がつけたとして
ワイの力を散々使っておいて今更何を言っているのかってなる訳だしね、普通に詰みだわ。
外側の神は全て闇だという言葉、内側を内観し浄化や浄霊を通して言いたいことは正直よく分かる。
創造する力、夢や願望を実現する力を外側に求めることはそれが善でも悪でも魂にとっては足枷となる。
ヒトは本来自分の世界を自分で創造する存在だから、
だからこそ創造の力を自らの内側に探し掘り進め発見したその創造のエネルギーはなんの制約もない自由な力であり、それは真の自己を発見することで見つけられる力なんですね。
自分の苦しみや悲しみ、トラウマ、悪意、欺瞞と向き合い真の自分であろうとしないで救いを求める存在の供養も悪意や恨みに満ちた存在や自分の心の隙につけ込もうとする存在の対処もできませんからね〜
なんか長くなってしまった
へっへっへ