上の子2歳の時に私の父は自宅で左脳出血で倒れ言語障害、右半身麻痺になりました。私は県外にいたので2歳の子ども連れ飛行機で急ぎました。車椅子生活になり、母1人では介護できない為、父は私の近くの老健に入り、母も私の所で一緒に生活し、過ごす事になりました。不安な様子の父を見て毎日のように、母と2歳の子と私3人、老健に行き昼食をしました。2歳の子どもを連れての老健通いは大変だったけど今、思えば貴重な時間を過ごしました。


1年がたち、父がリハビリのお陰で介護度4だったのが3になりました。老健も1度、でなきゃいけない頃、父が家の方に戻りたいと。また、母も帰りたいと言われ、最初は反対してましたが、心落ち着く場所は実家にあるんだなと感じ、父と母の気持ちに寄り添い、自分のやれる事を一生懸命しました。私も一緒に帰り、家の中を車椅子でも過ごせるように、スロープつけたりとリホームしました。月曜日から金曜日は施設で、土日は家で過ごすよう、準備して母にも介護のやり方を教え、落ち着いた所で私は自分の家に戻りました。帰る時、父が涙をたくさん流しながらお世話になったと何度も言って別れました。それが6月の頃です。その2ヶ月後に下の子を妊娠。お正月に会おうねと言っていたのに、もう少しでお正月だったのに、11月23日に施設で右脳出血をおこし、病院へ。すぐ駆けつけた時はもう、寝たきり状態。何をしても反応なく、食べる事もできない。痰が詰まり呼吸もつらそうな様子を見るのも辛かったです。妊婦健診があった為1度自分の家に戻りました。戻ってる間に亡くなる可能性もありました。妊婦健診し、また、実家に戻り次の日病院へ会いに行きました。呼吸が荒くやっと呼吸している様子でした。私は父に、私が戻ったよ。だから安心していいよ。と声をかけて家に戻ります。生前、父は母の事を1人では何も出来ないからと心配していたからです。その夜12時少し前に病院から電話が…父がなくなりました。私をまるで待っていたかのようなタイミングでした。


何年たった今でも、思い出すと涙が溢れます。親の人の死から悲しみもある中、大切な事を教えられました。生きているのは当たり前じゃないんだと。誰もが死に向かって生きている。また、死とは長いからいいというものではないということを。どういう気持ちで、心で、日々を過ごしているかで短い命でも後悔ない幸せだったなと思える人生になるんだと感じます。


https://blog.ameba.jp/ucs/analysis/analysis.do