
その日、
自転車で
図書館に
本を返却しに
行きました。
自転車を
駐輪場に止めているときに
隣から
母と娘の会話が
聞こえてきました。
まず、母親の声が
娘に話しかけていました。
あんたたちは、
忍者の才能がゼロだね。
前の会話の内容を
知らないので、
何に対してのこの言葉なのかは
わかりません。
それから聞こえてきたのは、
なんで
あなたたちは
わたしのことを
さっきから
おならって
呼ぶの?
7才と5才くらいの
姉妹に対して
母親は
そう言っていました。
それから
母親は、
じゃあ、
あなたたちは
おならの子供で
おならだね。
蛙の子は、
蛙
という
わけですね。
すると、
上の娘さんが
パパは、人間で
ママが、おならだから
(自分たちは)
おならじゃない
と答え
ました。
両親が
おならでなければ
子どもは違うと
言いたかったのでしょうか。
それに対して
母親は、
なら
おなら
じゃない
と
反撃のひとこと
を放ちました。
片親でも、
おならなら
十分に
おならの血が混じっていると。
いうこと
ではないかと。
ん、
「おならの子」
新海誠の次回作に
どうだろう。
ふと、
そんな
どうでもいいことが
頭をよぎります。
たしかに、
「おしりたんてい」
なら
知っていましたが、
「おなら親子」は
知りませんでした。
もちろん、
親と子の
おならに
出会ったのは
その時が
はじめてでした。
おなら
おならのおやこは なかよしこよし
いつでも いっしょに
ぷっぷっ ぷっぷっ あるく
こんな歌が
聞こえてきそうです。