
父が旅立ちました。
7cmにもなる巨大胸部大動脈瘤を抱えていた父。
手術もできないため破裂したらそこで言葉もなく終わり…と言われていました。
そして今回・・破裂。
結果としては旅立つことにはなりましたが、その過程は医師も驚くようなものでした。
昼過ぎに搬送された救急外来でのトリアージは赤。
病棟に移ることすらできないかも・・と宣告されていましたが、場所がよかったのか、家族が揃う頃には病棟へ上がることができました。
本人も家族も延命治療は行わない意思のため、痛みをとる緩和ケア(痛み止めの静注)を行っていただきましたが、時間の経過とともになぜか・・絶対安静ながらも安定するバイタル(心拍数・呼吸(数)・血圧・体温)。
なかなか『有声』にこそなりませんでしたが、意識はしっかりしていて問いかけにも応え、必死になって同じ言葉を発しようとするので、遺言になるのかとみんなで何とか必死で聞き取ろうと、その場で50音表を作って指し示してもらったところ、「(酸素マスクが嫌だから)やめろ」だったりして、ベッドの周りでみんなで爆笑したり・・と、初めこそ悲壮感が漂っていた病室も、いつしか和やかな雰囲気に変化していきました。
時折痛みは襲うものの、注射がよく効き・・このまま入院が長くなるのでは?・・という、別の心配をし始めたくらいでした。
学生時代の男親の存在は、ご多分に漏れず何とも鬱陶しいものでしたし、高校卒業後は親元を離れて進学・就職・結婚・・と、別の生活となり、たまに会ってもあいさつを交わすくらいで、父とゆっくり話をすることもありませんでした。
それだけに今回、頭をなで、体をさすり、手を握りながら、こんなに触れたのも、こんなにやさしい言葉をかけたのも久しぶり・・いや、初めてなのかも・・と思いながら顔を見ていました。
二日目の夜、容体が安定しているため、妹たちは院内の家族控室で体を横たえ、母は孫たちを連れて家を一旦帰り・・と、病室は私一人になりました。
急変は、そんな明け方・・いつも痛がる場所と違うところを痛がりだしたため看護士さんに話をするも、痛み止めを使える時間に至っておらず、「もう少ししたら使えるからね」と身体をさすりながらいるうちにバイタルサインに乱れが生じ、呼吸数が下がってきたためあわてて妹たちを招集。
最後は姉妹揃って見とどけることができました。
死は絶対的なものであり、その事実を受け入れる家族は、悲しさもむなしさも、そして苦しみもありますが、この最期のときに、私が今までの隙間を埋めるかのように、父のもとで充実した時間を過ごすことができたのは、本当によかったな・・と思います。
平日の昼間・・、当初の予告通り動脈瘤の破裂と共に命の灯も消えていたら、家族の誰一人間に合わない状態でした。
それが思わぬ時間を与えられ、母はもちろん、私たち姉妹、そして6人の孫たちにもすべて意識のはっきりしているときに会え、コミュニケーションが取れたことは、父にとっても私たちにとっても幸せなことでした。
クリスチャンである父の葬儀は教会式で行われ、たくさんの花に囲まれ、たくさんの方にお出でいただきました。
そんな葬儀の中で私は、牧師先生に乞われ、父に讃美歌を捧げました。
ふとした瞬間に涙が止まらなくなるのに、歌うことができるのだろうかと不安もありましたが、礼拝の折にも私が皆さんの前で讃美をすることを誇りに思ってくれていた父でしたので、何とか歌い切りたい・・とお引き受けしました。
直前まで何の歌を歌えばいいのかわからず、迷いながら讃美歌をめくっていました。
そんな中、なんとなく目についたのが讃美歌320番です。
パラパラページをめくっていくと、なぜか何回も320番が開かれるのです。まさに神様が『与えてくださった』という思いがしています。
・・独唱としては決して褒められるレベルで歌えたわけではありませんが、歌いきることができて、そしてお引き受けしてよかったと思っています。
さて、長くなりました。
今のところまだ、誰の夢枕にも立っていないようです。
「薄情だよねえ」「ようやく病院から解放されて、大好きなビールを片手に飲み仲間を訪ねて歩くのが忙しいのでしょう」・・と悪口言っているのが聞こえたかどうか・・^^
【讃美歌 320番】
主よ、みもとに 近づかん
登る道は 十字架に
ありとも など 悲しむべき
主よ、みもとに 近づかん
さすらう間に 日は暮れ
石の上の 仮寝の
夢にもなお 天(あめ)を望み
主よ、みもとに 近づかん
主の使いは み空に
通う梯(はし)の 上より
招きぬれば いざ登りて
主よ、みもとに 近づかん
目覚めて後(のち) 枕の
石を立てて 恵みを
いよよ切に 称えつつぞ
主よ、みもとに 近づかん
うつし世をば 離れて
天駆(あまが)ける日 来たらば
いよよ近く みもとに行き
主の御顔を 仰ぎ見ん




