2026年6月15日(月)

錦川鉄道錦川清流線は、錦帯橋の近くにある川西駅から錦町駅までの錦川沿いの岩国市を走行する路線。終点の錦町駅、途中の

南桑駅周辺を歩いた。
 

錦川鉄道錦川清流線(32.7km)の終着“錦町駅”。平成の合併で岩国市となったので錦川清流線は全線岩国市。

錦町駅舎内。改札を出て階段を上がったところにホームがある。発着時間をプレートがレトロでたまらない。このような山奥の田舎駅に自分だけではなく、てっチャンらしき人が何人か訪れて写真を撮っていた。

錦町駅からちょっと歩くと錦町のメインストリートを流れる小さな川にかかるコンクリート橋がなかなかいい味を出してる。

錦町のメインストリート。商店、喫茶、食堂、郵便局があり中心部となっている。この左に並行して錦川が流れる。

メインストリートから入ると白壁の町家風の家があり奥に神社がある。

メインストリートから入った神社からの眺望。錦町は島根県の県境に接するせいか石州瓦の赤い屋根の家が結構多い。

メインストリートをまっすぐ行き商店が途切れた地元第一地銀の山口銀行のところで左折し、橋を渡って対岸の道路を錦町駅の方へ折り返した。

橋を渡って折り返してから、来た道の対岸の道を歩いて一つ下流の橋まで来た。写真は橋から撮った錦川と錦町メインストリートの裏側の街並み。

錦川鉄道錦川清流線を岩国市街地方面に向かって途中にある南桑駅。岩国市美川町(旧山口県美川町)にある。駅は錦川の右岸にあり、集落や国道は左岸にあるため、人道橋で結ばれる。車で駅までは来れない。

南桑駅に架かる人道橋から撮った錦川清流線を走る汽車。緑の車両が山の緑、川の緑に溶けこんでいて、少し待った甲斐があった。

 

 

2026年6月14日(日)

北九州モノレールは、北九州市の政治・経済の中心である小倉を南北に貫き、小倉駅ビルに乗り入れてJRと接続する。

 

企救丘駅から小倉駅まで全長8.8kmのモノレール路線をお歩きさん。写真は企救丘駅から撮影。

モノレールの高架下を歩いて企救丘駅から3つ目の徳力公団前駅付近。斜面に住宅が整然と並んでいる。

小倉競馬場。企救丘より5つ目のモノレール競馬場前駅からすぐ。昔、GWの時、イベントしていて家族で訪れたが、その時、競馬場自体が初めてですごく整備されていてきれいな所だと思ったが、更に充実していて競馬しなくとも時間をつぶせる。

小倉競馬場。レースする馬場は、昔、訪れた時とあまり変わってないが、芝が青々していて、電光掲示板、スタンド、小倉の街並みなど、なかなかいい眺め。

競馬場前の次の北方駅とその次の城野駅の間付近。

モノレールの城野駅を過ぎてから、小倉と鹿児島を結ぶJR日豊本線の線路下を通って北九州市民球場に行ってみた。昔は小倉球場と呼ばれていて、たまにダイエー(現ソフトバンク)が試合するので行ってみたかったが、行ったことなかったので今回初訪問。観戦してないが、日本女子ソフトボールリーグの試合があり、地元チームも出場するようで人が多かった。

モノレール香春口三萩野駅付近。

モノレール平和通り駅からすぐの商店街。以前は小倉駅ではなく平和通り駅が起点駅だった。小倉駅手前まではアーケード商店街となっている。

JR小倉駅、モノレール小倉駅がある小倉駅ビル。北九州は響灘、関門海峡、豊前海に囲まれ、九州だけでなく山陰、四国からも新鮮な魚が集まり、寿司屋が多く、“すしの都 北九州市”をPR。北九州市長と富山県知事が発起人となり北九州市で、まさにこのブログ記事をUPしている今“すしサミット”が開催されている。

企救丘に駐車しているので、帰りは小倉駅から終点の企救丘までモノレールに乗った。下関で暮らしていた頃、小倉を訪れたら、妻が買物している間に、当時まだ幼かった息子達をモノレールに乗せて面倒をみたが、北九州モノレールに乗るのはそれ以来。

2026年6月13日(土)

おんせん県の県都の南部に位置する大分市戸次本町は、江戸時代に日向街道と大野川の交通要衝として栄え、古い街並みが残る。

 

戸次本町。大分市の友人宅に向かって国道10号線を走行していたら、“戸次(もしくは戸次本町)の街並み”という標識を2~3回は見た。気になったので、友人と会った翌日に一人で訪れた。

戸次本町。国道10号線から東に少し入ったところにある。江戸時代、城下町以外では、一般の農村で大規模な商業活動をすることには制限があったが、戸次は、特別に商業活動が認められた在町として発展した。

街並みにあった寺。小栗栖香頂とは、この寺の息子であり、日本の仏教界で最も早く中国に渡り、上海に東本願寺別院を設立し、海外布教の先駆者となった。

旧戸次郵便局(左から2つ目の建物)がまちづくりセンターになっていて無料で見学できる。スタッフの女性に戸次は“ごぼう”が有名であり、“ごぼまん”というのが戸次の名物になっていることを聞いた。

地元の女性たちで結成された“戸次ごんぼの会”の店に行き“ごぼまん”を購入。肉まんのような感じで美味しかった。

町並みの中心的存在である帆足酒造。1972年まで酒造りが行われていた。帆足家は戸次の大庄屋を務めた家で、単なる農村の有力者だけでなく、文人及び画家の田能村竹田や、江戸時代後期の儒学者頼山陽など、多くの文人墨客との交流があり、彼らがこの街を訪れた。

帆足酒造からの戸次の風景。

帆足酒造の銘酒「富春」の名をとった母屋「富春館(写真左)」。1863年の建築。帆足家は文人画家と交流があり、「富春館」は多くの文人墨客を迎え入れたサロンでもあった。現在、食事、喫茶ができるが、一人では入りずらく、他の店でランチした。

戸次本町の通りにあった金物屋。

戸次本町の通りにある築120年の古民家を生かした量り売り専門店

 

 

2026年6月11日(木)~  6月12日(金)

佐伯市は、大分県南東部にあり宮崎県境と接する。九州最東端の街であるとともに、平成の合併で九州最大面積の街となった。

 

佐伯の中心部。佐伯は九州で最も東にある街であり、鶴見半島先端の「鶴御崎」が九州最東端の地となる。また平成に1市5町3村の合併により宮崎県の椎葉村を抜き九州最大面積の市町村となった。

中心部にある“うまいもん通り”。豊後水道で水揚げされたネタを使って「寿司の街」として知られる。寿司は一人で食べる気になれず、“佐伯ラーメン”というご当地ラーメンがあったので食べてみた。

うまいもん通りは結構な飲み屋街にもなっている。

翌日、大分在住の友人に佐伯か津久見でランチのおすすめを聞いて訪れたところ。佐伯から海沿いに大分方面へ約10km。

塩湯。汲み上げた海水を濾過して沸かしたミネラルたっぷりの温泉で食後に入浴した。海を見ながら温泉に浸かり、気持ち良かった。ここに食堂もあり、大分の友人のお勧めの店。11時頃だったが、既に待ち時間が発生、県外車もかなり多かった。

この海鮮丼が友人のお勧め。地魚がそり返っていて、メッチャ新鮮。おまけにボリュームがあり、そして安い。これが出てきた時、ウッソーという感じだった。

塩湯から車で5分程度のところにある豊後二見ヶ浦の入口付近を走る日豊本線の電車。

豊後二見ヶ浦。伊勢の二見ヶ浦と同様に夫婦岩がありしめ縄で結ばれている。そして初日の出の名所。

豊後二見ヶ浦近くの漁港。

豊後二見ヶ浦からの景色。

 

 

2026年6月11日(木)

門川町は、宮崎県北部の延岡と日向にある街。日向灘に突き出したところに桃源郷岬という私的なアジサイ園がある。そこから国道10号線沿いにある市街地まで行った。

 

桃源郷岬から山道を走行し、ようやく門川の市街地が見えたあたり。

国道10号線から少し入った地元資本の大きなスーパーに入り、買物した後、国道10号線を日向方面にお歩きさん開始。

国道10号線を少し歩いてから、ひと筋入った通り。銀行、郵便局などがあるので、昔はこの街で最も賑やかな通りだったと思われる。

昔、栄えたと思われる通りをまっすぐ日向方面に行ったら木造のレトロな洋館があった。

昔、栄えたと思われる通りの街が途切れてきたあたりで、東九州の大動脈の国道10号線に出て、来た方向(延岡方面)へ折り返した。

往路は国道10号線から、途中で昔栄えたと思われる通りを歩いたので、一部まだ歩いてない部分を通り、JR日豊本線門川駅(写真正面)に行った。国道10号線はこの駅の裏に南北(写真では右左)に線路がある。駅があると言ってみたくなる習性があるし、電車や汽車を撮りたいし、乗りたくなるし、少してっちゃんの気を持ち合わせていると思う。

JR門川駅前の風景。この信号を右に行った。

地元資本の大きなスーパーに到着したが、海沿いを歩いてみたくなり国道10号線を横断して海に出た。写真の背後の山の裏側にあたるあたりに桃源郷岬という名の私的なアジサイ園がある。

門川漁港。

海沿いの道路に少しだけアジサイが咲いていたので、パチリ!!

2026年6月11日(木)

桃源郷岬は、宮崎県門川町にある日向灘に面した岬にある私設の庭園。この時期はアジサイの他、ジャガランタ、スイレンが咲き誇る。

 

桃源郷岬の入口付近。門川の市街地がある国道10号線から日向灘に突き出た半島へ逸れ車で約15分。途中から対向車が来たらすれ違えないような狭い道を通る。

日向灘とアジサイ。このアジサイ園は120種の約200万本のアジサイが咲く。1998年頃に地元の方が、土地を購入して整備された庭園。

斜面に咲くアジサイ。

斜面に細い道があり、両側にアジサイが植えられている。

断崖絶壁の斜面に植えられたアジサイと日向灘の景色がこのアジサイ園の目玉。

 

 

世界三大花木である南米原産のジャガランタ。今年1月に小浜温泉(長崎県)に妻と行った時にジャガランタの並木があり、その時は咲いてなかったが、海外で見たことがあるなど話したことを思い出した。

出口(入口と同じ)に向かう途中に、青い海、青い空とアジサイの3点セットで撮れたが、平面であり、海がちょっと入り、アジサイのボリュームもない。斜面にある道で撮りたかったが、そこまで戻る気力はなし。

出口を出て、駐車場の向こうにスイレンが咲く池があり、その先の山の斜面にアジサイが咲いている。

 

2026年6月10日(水)

八代は、熊本県南部にある不知火海に面した県内第二の人口を擁する街。2026年7月の大地震発生の約1ヶ月半前に市街地を歩いたばかりだったので、NEWS映像を見て本当にびっくりした。このたびの地震で犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表するとともに被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。一日でも早く復旧、復興できるよう心よりお祈りします。

 

八代市役所に八代市出身の歌手八代亜紀のステージ衣装、音楽関係で受賞したトロフィー、メダル、画家として描かれた絵など、ゆかりの品々が展示されている。

市役所の展望室から見た八代城址、背後に天草が霞んで見える。八代城址にある八代宮について、地震のニュース映像でみた時、屋根が地面にドスンと落ちたようになっていて衝撃的だった。

市役所から徒歩数分のところにアーケード商店街、繁華街がある。

JR(鹿児島本線、肥薩線)と肥薩オレンジ鉄道が乗り入れる八代駅の近くにある日本製紙。今回の地震で1本煙突が倒壊し、9名の方が犠牲になられた。その後も解体作業中に別の煙突が火災で倒壊した。NEWSを見た時、この近くを普通に歩いていたことが嘘のようだった。

八代駅前のくまモン。ここで折り返し、来た道とは違う筋を通り、八代城址まで歩く。県内No.2の都市であるが、小さな駅である。駅前は中心部から結構な距離がある。駅からは今回甚大な被害を受けた日本製紙がすぐである。

八代駅から再度、中心部を通ったが、同じ道は芸がないので他の筋をチンタラ歩く。

ア-ケード街にも八代亜紀の衣装等が展示されていた。

アーケード街にあるくまモンのポスト。八代の街を歩いていると県内の他の街以上にやたらとくまモンに出会える。

八代城址にある八代宮。屋根が倒壊により地面に落ちていたが、犠牲者がでなくて良かった。

八代城址の堀のまわりを一周した。

 

2026年6月9日(火)

荒尾市は、熊本県北西部にあり、西は有明海、北は福岡県大牟田市に接する。三井三池炭鉱で栄え、万田坑は世界文化遺産に登録されている。

 

鹿児島本線のJR荒尾駅。万田坑の最寄駅であることから、“世界文化遺産万田坑駅”と駅舎入口の上に表示されている。

JR荒尾駅前にある万田坑第二竪坑櫓であり、実物の1/5のレプリカ。

JR荒尾駅付近の市街地。荒尾には三井グリーンランドという大きな遊園地があり、約30年前下関からまだ幼かった息子達を連れて家族で訪れたことがあるが、その時は市街地を歩いていないし、万田坑の存在さえ知らなかった。

万田坑。JR荒尾駅から途中イオンに立寄ったりして徒歩1時間程度で到着。ここは4年前に不知火海に面した街に行った時、リングで有名な貞子の母のモデルとなった御船千鶴子が透視で炭鉱を発見した話を聞いたが、その炭鉱こそ三井三池炭鉱万田坑だった。しかし、千鶴子が透視能力を身につけた時には万田杭は発見されていたので矛盾があると指摘されている。

万田坑入場券売り場前にある顔出しパネル。

国鉄の線路ではなく、石炭や資材を運ぶため三池炭鉱が敷設した三池港と炭鉱を結ぶ専用鉄道の跡。石炭産業が発展していくにつれ各坑口と関連工場群が網の目のように結ばれ全長150Kmもあった。戦後は客車も使われ通勤者も運んだ。1997年の閉山まで約100年間使われた。市街地に戻る時は、途中まで廃線となった線路跡地を歩いた。

線路から途中の市街地の風景。

三池炭鉱専用鉄道の原万田駅のホーム跡。

万田坑があるところから市街地へ降りてきた。

JR荒尾駅から1km程度のところにある道の駅から展望。有明海はモヤで霞んでわかりずらいが、雲仙は山頂部分が見える。

2026年6月8日(月)

大川市は、福岡県南西部の筑後川河口付近に位置する人口約3万人の街。日本一の家具生産地である。

 

中心部付近を流れる花宗川。筑後川水系の川。徒歩30分程度のところで筑後川と合流する。

ポルトガルから長崎街道で伝わった佐賀銘菓の“丸ぼうろ”の看板を見て佐賀が近いことを感じる。筑後川を渡れば佐賀市になる。

筑後川の土手の下の方にある旧三潴銀行の本店。1909年に建てられた。

筑後川にかかる昇開橋。国鉄佐賀線(廃線)の日本最古の昇開式の可動橋であり重要文化財。対岸は佐賀市となる。

筑後川と花宗川の合流する付近にある小保地区の街を歩いていると、これまた佐賀市と同様、恵比寿が祀られてるのを何度か見かけた。そういえばクリークも、カササギも見たし福岡県というより佐賀文化を感じる。

旧久留米藩と旧柳河藩の藩境にある小保地区の街並み。左の建物は国の重要文化財であり、旧吉原家の居宅。

 

小保地区とともに旧久留米藩と旧柳河藩の藩境にあたり古い街並みが残る榎津地区にある大川榎津ロマン館。レトロなものやディープなものがいっぱい飾られていて入場無料。入ってみたかったが、他に人もいなかったし、勇気がなくスルーしてしまった。ちょっと後悔。

榎津地区の街並み。

榎津地区を抜け、大きな家具屋があった。日本一の家具生産の街なので歩いていて何軒か家具屋を見かけた。筑後川上流の日田が木材の産地であり、河口近くに位置するこの街には良質の木材が集まり船大工が多かった。そして船大工の技術から家具製造が盛んになった。昔、ザ・ベストテン(歌番組)でこの街の家具屋の息子?だった大川栄策がタンスを担いで出演した記憶がある。

大きな家具屋の少し先にある古賀政男記念館。作曲家であり、音楽関係者で初めて国民栄誉賞を受賞したのは、亡くなった時であり、王選手に次いで二人だったので記憶にあるが、さすがにヒット曲はほとんど知らない。

 

2026年6月7日(日)

福岡県篠栗町は、博多から電車で約20分程度のところにあるベッドタウン。町内に篠栗四国八十八ヶ所霊場があり、コンパクトにお遍路ができる。また第1番札所には日本一の涅槃像がある。

 

役場前を通るメインストリート。役場の近くには駅や銀行、旅館、飲食店などがあり中心部となっている。古賀市在住の友人と九重の山に登りミヤマキリシマを見る予定だったが、この日と翌日の天気が悪く中止し、篠栗のお歩きさんに変更した。

メインストリートから入ったところにJR篠栗駅(正面)がある。

まずは、JR篠栗駅の横にある跨線橋を渡り、南口にある33番札所の寺に行った。へんろ道を誘導する石碑があったが、仏具屋か何かの店が看板かわりに使っていた石を再利用したものかな。

JR篠栗駅南口から再度、跨線橋を渡りJR篠栗駅の表側近くの札所へ。車が少ない道を“へんろ道”として誘導している。写真のT字路を左折したら2つ札所があった。

へんろ道から行った第51番札所。その隣には79番札所があった。約1時間で3ヵ所の札所に行った。本場の四国ではこうは行かない。

79番札所に行った後、街をブラブラした饅頭屋があったので、饅頭休憩。

饅頭休憩した後、ランチのため少しドライブして飯塚市に行った。ランチ後、篠栗四国八十八ヶ所霊場の1番札所である南蔵院に行った。篠栗四国八十八ヶ所霊場はいくらコンパクトとはいえ、全行程が約50kmある。ここはJR篠栗駅から2つ目のJR城戸南蔵院前が最寄駅となるので車で行った。写真は南蔵院の迫力がある不動明王像。が、南蔵院はこれよりもっとすごいものがあった。

南蔵院からの風景。この道をまっすぐ行き峠を越えると飯塚市になる。

南蔵院の全長41m、高さ11m、日本最大の涅槃像。篠栗に来る前に調べてこの存在を初めて知ったが、思ったより大きく感激。1995年完成のことで、友人も初めて見たとのことで感激していた。

南蔵院を見た後、友人一押しであり、焙煎工場とカフェが一体となった篠栗珈琲焙煎所でコーヒーを飲んだ後、すぐ近くにあった辛子明太子で有名な“やまや”の本社前にあるオブジェ。篠栗の街並みの他、写真には写っていないが福岡空港が見える。