人間国宝 平良敏子さんの思い出 | クッキングパパのブログ

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1974(昭和49)年、父さんは高校一年生だった。

沖縄が本土復帰して2年後

その翌年には、本部町で沖縄海洋博覧会が行われるということで、建築作業が急ピッチで進められていた。

「戦後復帰を迎えた頃は、みんなおんなじ夢をみたー、夢はいろいろあるほうがいい。夢の数だけ ありっかんぱーい!」

そんな頃の冬の話

高校の文化祭があり、父さんのグループは「沖縄の民芸品」について調査することになった。

いちどぅしの仲村くんも一緒だ。

那覇の壺屋焼き、豊見城焼き、琉球ガラス、紅型、芭蕉布などの聞き取り調査に男女6人で県内くまなく歩いた。


バスを乗り継ぎ、大宜味村喜如嘉に「芭蕉布」の勉強に行った時に

継承者の平良敏子さんが案内してくれた。

「遠くから、よくきたねー」と話しながら、穏やかな笑顔で迎えてくれて、芭蕉布の歴史や作業工程を説明していただいた。

大宜味村は長寿の郷

元気な高齢者が多く、お年寄りを大事にする文化がある。

「お茶飲んでいきなさい」

と言われ、90歳を越えるおばあちゃんと15歳の高校生6人が縁台に座り、黒砂糖とさんぴん茶でおしゃべりをする。

素敵な光景だ。

横でその情景を見ながら、平良敏子さんも嬉しそうだった。

あれから47年 北部をドライブすると、当時のことを思い出す。

「平良敏子さん、お元気かなー?」

そんなことを考えていると、沖縄タイムスに紹介されていた。

今でも変わらず優しげな笑顔。

嬉しかった。
いつまでもお元気でいてください。




沖縄タイムス

2月14日 配信

人間国宝・平良敏子さんが満100歳 今も現役で芭蕉布制作に携わる 朝のルーティンとは

2021年2月14日 08:08沖縄タイムス社

 【大宜味】芭蕉布(ばしょうふ)の人間国宝、平良敏子さんが14日、満100歳を迎えた。大宜味村喜如嘉に生まれ、20代半ばから沖縄の伝統工芸品、芭蕉布の復興に力を尽くしてきた。現在も早朝から喜如嘉の芭蕉布会館に通い、芭蕉の繊維から糸を作る「手績(う)み」作業に励んでいる。「100歳になっても、いつもと同じ。自分にとって偽りのない仕事を続けるだけ」。その手は滑らかに動いていた。

 毎朝4時すぎに目覚めると、まずは新聞を取りに行く。県紙2紙に、隅から隅まで目を通す。15分間の体操も欠かさない。身支度を整え、玄関の大きな鏡に向き合う。「鏡は心を映すから」。自分の心が乱れていないか確認し、仕事に向かう。午前7時前に芭蕉布会館に着くと、午後5時まで糸を績む作業に当たる。

 作業場では作務衣(さむえ)に身を包み、両手に取った芭蕉の繊維の太さや向きに目を凝らす。「手がしびれても、どんなに疲れていても、やめたいと思ったことはない」。戦後を生き延びるため、休むことを知らずに芭蕉布の産業化を進めてきた。戦争で夫を亡くした女性や地域の女性を生産の担い手に加えた責任感もあった。「私は芭蕉布以外、何もできないから」と笑う。