今回は家族のお話をします。
自分が小4までは、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、俺と弟、おばあちゃんと、おじいちゃんの7人家族でした。
でも、おじいちゃんが俺が小4の時に病気で家で最後をみた時、すごくなにもしてやれない自分の無力差っていうのを知ったね。この時から俺の歯車が狂いだしたのかもしれない。
お父さんも俺が小6の時に病気にかかりました。当時のお父さんの年齢だとその病気は宝くじがあたるぐらいの
確率らしい。すごく重い病気。多発生骨髄腫って病気。ま、簡単に言うと骨髄のガンかな。1番辛いはずなのに、毎日俺らの心配してくれた。それから闘病生活が始まった。
入退院を繰り返していくうちに
俺は中学生になった。この頃から
お父さんとお母さんの喧嘩は
たえなかった。俺はいつも
思ってた。なんで病気の人と80歳になるおばあちゃんと住んでるのに、お母さんは優しくできないのかって。
中1の夏休みのことだった。
ある日朝起きたらお父さんに
もうお母さんはいないから。
と突然言われた。その時なんで
よくそんなことできるよな病人とお年寄りと高校にもはいってない子供3人残して。ありえないでしょ?
その時母さんには愛されていなかっ
たなと感じました。
それでもお父さんは下を向かずに
頑張って生きてました。クシャミするだけで骨が折れるほど弱っていたのに。お父さんからすごく愛を感じた
と思いました。だって俺が悪いことしたら学校まで杖ついて歩いて来てくれたし、骨が折れるかもしれないのに、
俺が悪いことしたらグーで思いっきり殴ってくれた。本当痛さより、その愛情に涙でたよ。
中2になるともうだいぶ病気も進行していきました。その頃からお父さんら自分の寿命が短いのを知り俺らに
いろいろ伝えよとしてました。
また俺もお父さんの寿命を知ってました。
みんなは誰かの寿命を知りながら
その人と一緒に生活したことは
ありますか?正直毎日今日で
最後かなとか明日はちゃんと話せるかなとかすごくいろいろ考えちゃうよね。
最後に話したのは中2の時の俺の
誕生日だったなー。
あの時もうだいぶ頭にもきてたんだと
思う。誕生日なのにおめでとう
って言われなかった。毎年必ず
言ってくれたのに。その時も入院してたから電話で話したんだけど、
最後の言葉が、怒るからなだよ?
最後まで心配かけっぱなしだよ
すごい泣きたくなった。
それから1ヶ月と10日後に
亡くなった。本当に悲しかった。
でも俺より悲しい人がいる。
その人が前を見てるから俺が下なんか
向けない。ネガティブなこと
なんて言えない。元気ない表情もできない。常に元気で俺は大丈夫だということを示さないと心配するから。
愛する夫と愛する息子に先に逝かれて
もそれでも俺らを育ててくれる
なんて涙でるよね。本当におばあちゃんには日々感謝してます。
昔は7人だけど今4人って
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